神の恵みにより

福音の使徒パウロの確信


パウロはこの3章22節で確信の第2段を語っています。
第1段:福音はすべて信じる者を救う神の力(1:16)
第2段:福音に啓示された神の義はイエスを信じる信仰により与えられる(3:22)
神の義はどうすれば得られるでしょうか?
聖書を丸暗記すればでしょうか。礼拝を1年間休まずに来たらでしょうか。それと
も、ローマカソリック教会のように法王から罪の赦しをいただき、聖職者に罪を告白
したら神様から罪赦されて、神の前に義なる者と認められるでしょうか。 パウロの
語る確信は、「福音は信じる者全てを救う力がある」でした。更にパウロはこれを掘り
下げ福音により語られた、イエスを信じる信仰により律法の要求する神の義が与え
られることを力強く確信を語っています。

律法は罪を明らかにするのみ


今日はこのパウロの確信第2段を更に見て行きましょう。
神の御前に義なる者とされる事を信じて、神の民として生きることが律法を規範とし
て生きてきたユダヤ人でした。しかし、神のお言葉なのにこれを守っても義とされな
い。とはどういう事でしょうか。
「律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。」とパウロは言います。すなわち、律法により神の御
前に違反をあきらかにする事であり、義人はいない。ことを明らかにするものでした。
国の法律は違反が何かを明らかにするわけですが、明らかにしても犯罪は無くなりません。
律法は神の御前における罪をあきらかにし、法令に関する裁きも語ります。これにより罪が何かを明らかみ
しますが罪が無くなるわけではありません。

恵みによる信仰による


律法により明らかにされた罪と不義なる人間、神様は不義なる人を義とするウルトラCを編み出されました

罪の重荷を抱える人が押し潰れそうな時、その人を救う方法は重荷を下ろすことです。しかしその重荷を
誰かが背負ってもらえるならば解放されます。
重荷から解放され救われたら誰に感謝しますか?誰が荷を背負われていますか?
私たちは罪の重荷を背負い支配されています。この重荷は降ろすことが出来るでしょうか?降ろしたくても
降ろせないのです。しかし方法があります。罪の重荷を肩代わりして貰うことです。(24節)ただ、神の恵みに
より、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。この不義なる者を救う神の恵み
を信じる者は、不義なる者に救いと神の義が与えられるのです。
神の恵みにより信仰により義とされるのです。ですから、信仰を持ち続け信仰の道を歩みましょう。信仰は
燃やされなければその火は消えます。だから御言葉を学び、信仰を持って歩みましょう。

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