義人はいない

ローマ 3:9-18 3:9

では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。 3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。 3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。 3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」 3:13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」 3:14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」 3:15 「彼らの足は血を流すのに速く、 3:16 彼らの道には破壊と悲惨がある。 3:17 また、彼らは平和の道を知らない。」 3:18 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」

◆神に対する恐れ無き世界

パウロは旧約聖書の詩篇を引用して人類の姿を語っています。3000年も前の人類の様相を語ったとは思えない程に現代の姿と似ています。 3:16 彼らの道には破壊と悲惨がある。 3:17 また、彼らは平和の道を知らない。」 3:18 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」 神に対する恐れがない生き方をする人間は滅びの道を歩んでいます。平和の道を歩まず破壊と悲惨の道を歩み続ける姿は今の世界にそっくりです。

◆義人はいない

聖書は神の視点からこう言い切ります「義人はいない」。義人とは、神の前に正しいと認められる人です。それがだれもいないという事を言っています。 神の前に正しい人がいない。それは神様の御国である天国に誰も入ることが出来ないと言うことを意味しています。ある人たちはこう言うかもしれません。 神は愛という優しさで私たちの全ての罪を赦してくださっているので、自分は犯罪のような罪を犯していないし善人とは言わないまでも比較的、善良に生きてきたので神は救ってくださるはずだ。 不確定の要素で自分が救われるのだと漠然と信じ、天国へ行けるぐらいの善人だと信じているのでしょうか。しかし、天国は半分善人でが半分悪人などと言う人はいないのです。いたとするならもはや天国は半分地獄なのです。 天国は義人の住まう所です。義人とは神が正しいと認めた人のことです。 私たち義人ではありません。これが今日の神のメッセージです。私たちはこの事をちゃんと自覚しなければなりません。 神が住む天国の住人でも無ければ、入る資格も無い者、だったのです。

◆不義の人を義人とする神の愛

不義なる者である自分が理解できたなら次の聖書の言葉の恵みも理解できると思います。 ロ-マ 4:24-25また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。 不義の人が義人に変わることは奇跡でもない限りありえません。しかし、神の愛はそれを可能にしてくださいました。義人ではない私たちがキリストにより、義人とされ救われることについては後日詳しく話しますが、罪ある者を救うために罪の無い者を身代わりにしたのが十字架です。ここに神の愛があります。キリストの死が不義の 私の死となり、キリストのよみがえりが死んだ私に与えられた新しい命、人生となり天の御国に繋がる道であることを信じる時、不義の者を義人と創り変える奇跡を「我信ず」と信仰で恵みを受け取り神の愛を感謝し歩み続けましょう。

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