投稿者: megumi_pastor

  • 神の家(2026年6月14日の週報より)

    ヤコブは兄エサウの手から逃れるために故郷を離れハランへと向かいました。「ある場所」にたどり着き一夜を明かします。石を枕に横になりました。夢を見ました。地と天を結ぶはしごを神の使いたちが上り下りしている夢です。そして主の御声を聞きます。

    「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

    創世記28章13~15節

    神さまから祝福のお約束をいただきました。眠りから覚めたヤコブは、ここは神の家に他ならないと畏れを抱き、そこに石の柱を立て油を注ぎ、その場所を「ベテル」(神の家)と名付けました。

    神さまがともにいてくださる、そして祝福を成し遂げてくださる。神さまはその約束を成し遂げるまで、決して私を見捨てることがない。このお言葉さえ確かに握りしめているならば、私たちの人生も大丈夫なのだと思います。

    ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」

    創世記28章16節

    眠りから覚めたヤコブは、ここに神さまはおられる、なのに、私はそれを知らなかった、と畏れました。本来、神さまはいつもともにいてくださいます。しかしその神さまが見えない。そんなヤコブに神さまはお出会いくださいました。日が沈みひとり枕したとき、主は不思議な方法でご自身を現してくださったのです。ひとり静かに横になることは大切なことかもしれません。

    2026年6月14日(日)の週報より

  • 決断(2026年6月7日の週報より)

    「しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。」

    第一テモテ6章11節

    牧師であるテモテを、パウロは「神の人」と呼びます。神さまに仕える人、神さまがその御手の中に握りしめていてくださる人、神さまのものとされている人。私たちイエスさまを信じる者は、すべて神の人と呼ばれてもよいのだと思います。主にある者はみな神の人です。

    これらのことを避けよ、とパウロは語ります。これらのこと、とはこの場合前節までに記されている金銭を愛すること、欲望のままに求めることです。衣食があればそれで満足せよとパウロは語りました。

    義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和、を追い求めよ、とパウロは語ります。六つの言葉が三つずつ組みになって書かれているのですが、原文でもこのような書き方がされています。義と敬虔と信仰、そして愛と忍耐と柔和、はそれぞれセットなのかもしれません。神さまとの正しい関係が築かれてこそ敬虔に生きることができ信仰に生きることが可能となる。あるいは神さまとの関係のない敬虔さや柔和さはほんとうの敬虔さ、柔和とは言えない。また愛があって忍耐も柔和も生きてくる。愛がなくては忍耐はいたずらな我慢であり、柔和も愛がないなら生きる力に結びつかない。

    義、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和。これらを追い求めよというのですから、これらは追い求めるものなのだと思います。人生において完了するものではなく、生きる限り追い求めるもの。自転車は漕ぐのを止めるとぱたんと倒れてしまいます。それを同じように、完了したとして追い求めることを止めてしまうならば、人生がストップしてしまう。生きているということは成長し続けるということです。完成は主の再臨のときであることを見失うことなく、日々追い求めていく者でありたいと思います。

    2026年06月07日(日)週報より

  • 2026年6月28日(日)

    • 聖書:マルコの福音書6章6b~13節
    • 説教題:生きる心構え
    • 説教者:田中隆裕
    • 暗唱聖句:マルコの福音書6章12,13節
    • 新聖歌:
      • 117番 「栄えの主イエスの」
      • 190番 「静けき祈りの」
      • 433番 「天つ真清水」
      • 434番 「語り告げばや」
  • 2026年6月21日(日)

    • 聖書:出エジプト記20章15節
    • 説教題:盗んではならない
    • 説教者:河村三郎師(オンライン)
    • 新聖歌
      • 6番「いざや共に」
      • 266番「罪 咎を赦され」
      • 342番「神の子なるイエス」
      • 317番「わが友 主イエスは」
    • 暗唱聖句:
      • 地とそこに満ちているもの 世界とその中に住んでいるもの それは主のもの。 (詩篇24編1節)
  • 2026年6月14日(日)

    • 聖書箇所:ルカの福音書 18章1~8節
    • 説教題:「うるさくて仕方がない」
    • 説教者:奥村拓也師(オンライン)
    • 暗唱聖句:
      • 「いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。」(ルカの福音書18章1節)
    • 新聖歌:
      • 新聖歌9番「力の主を」
      • 新聖歌190番「静けき祈りの」
      • 新聖歌191番「慕いまつる主なるイエスよ」
      • 新聖歌 197番 「祈りの園生を」
  • 2026年6月7日(日)

    • 聖書箇所:ルカの福音書4章1~4節
    • 説教題:「御霊はどこへ導く?」
    • 説教者:川﨑慎太郎師
    • 新聖歌
      • 137「聖なる聖なる」
      • 136「御霊よ降りて」
      • 135「御霊は天より」
      • 397「神の御子にます」
    • 暗唱聖句
      「神はこの聖霊を、私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」(テトスへの手紙3章6節)
  • 教会の交わり(2026年5月31日の週報より)

    「そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」

    (使徒2章46~47節)

    聖霊降臨の日。ペテロは12人を代表するかのように立ち上がって説教を始めました。そのペテロのことばを受け入れた人びとは洗礼を受けました。その数が三千人ほどであった(41節)といいますから、驚くべき前進です。こうしてイエスさまを信じた人たちは一つになって教会生活を送りました。

    聖書は、人が救われることを「仲間に加えられた」(41)、「一つにしてくださった」(47)と語ります。信仰を持った者たちが便宜上一人でいるよりも大勢でいる方がいい、ということで一つになり仲間を組んだのではありません。神さまが一つにしてくださったのです。信仰を持つ、ということは、仲間になり一つとされる、ということなのです。

    信仰は、神さまとの一対一の約束です。だれも介入することのできない個人による自律的決断です。たとえば親が信仰を持っているから自動的に信仰をもっているというようなことではありません。お腹が空いたとき、誰かに代わりに食事をしてもらっても自分のお腹が満たされることはありません。自分が信じなければならないのです。

    しかしだからといって信仰は個人主義的なものではありません。必ず仲間の中に加えられる、そうして一つになる、ということが伴います。

    イエスさまを信じる信仰は、愛に生きる信仰です。愛は一人では成り立ちません。私たちは主と深く交わり愛を学ぶとともに、兄弟姉妹との交わりの中へ遣わされます。そこで愛が働き成長します。その交わりこそ教会です。キリスト教信仰において、教会はなくてはならないものなのです。

  • 聖霊に満たされる(2026年5月24日の週報より)

    「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。・・・この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。」

    (使徒2章4~8節)

    世界にはさまざまな国がありそれぞれに言葉があります。ある資料では七千以上の言葉があるそうです。しかし人間が神さまに造られたとき、最初は一つでした。

    この世界にたくさんの言葉がある原因を、聖書はバベルの塔の出来事によって説明しています(創世記11章)。人間は一つの共通の言葉であったことで高慢になり神のようになろうとしました。それをご覧になられた神さまが、言葉を混乱させ、互いの話し言葉が通じないようにされたのです。言葉が通じないことによって高慢が砕かれ、神さまへの謙遜を生むことを期待されたのだと思います。しかし地に散らされた人間の歴史は、罪と混乱に満ちて行きました。神さまはそのような人間を回復するために御子イエスさまをこの地に遣わしてくださいました。

    イエスさまの福音は、破壊された世界を再創造します。主が遣わされた聖霊に満たされるとき、私たちは神さまの前に謙遜になります。そして互いに意思疎通ができるようになります。福音は互いの隔ての壁を打ち破る力を持っています。

    2026年5月24日のめぐみキリスト教会週報より

  • 聖霊を待ち望む (2026年5月17日の週報より)

    「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」

    (ヨハネの福音書14章26~27節)

    イエスさまは、私たちに平安を与えてくださいます。しかし、世が与えるのと同じようには与えないと、言われました。

    世が与える平安とイエスさまが与えようとしておられる平安とはどこがどのように違うのでしょうか。

    主は続いて、心を騒がせてはならない、ひるんではならない、と言われました。心を騒がせるような事態を迎える、ひるんでしまいそうになる現実に出会う、ということでしょう。そういう中にあっても心騒がせない、ひるまない生き方に招かれているのだと思います。

    世が与える平安は何の問題もないという平安なのかもしれません。しかし主が与えてくださる平安は、どのような問題の中にあっても失われることのない平安です。

    助け主、すなわち聖霊が遣わされる。聖霊は、すべてのことを教えてくださる。そして主が語られたことを思い起こさせてくださる、と主は語ってくださいました。

    イエスさまを信じる者に聖霊がともにいてくださいます。心騒ぐとき、ひるみそうになる時、主のお言葉を思い起こさせてくださいます。み言葉を思い起こすとき、あらゆる事態の中にあっても失われることのない平安に満たしていただけます。

  • 2026年5月31日(日)15時~16時

    • 聖書:使徒の働き2章29~36節
    • 説教題:「目にし、耳にしている聖霊」
    • 説教者:奥村拓也師(オンライン)
    • 新聖歌:108、143、376、201