投稿者: megumi_pastor
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交わり(2026年7月12日の週報より)
交わり
ピリピ人への手紙1章27~30節
29 あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。
キリストのために受けた恵みとは、まず「キリストを信じること」であるとパウロは語りました。キリストを信じることによって恵みが与えられるのですが、そのキリストを信じることそのものも恵みである、と語られています。
恵みとは私の功績とはかかわりなく一方的に与えられた、ということですから、この信仰は何があっても変化したりなくなったりすることがありません。安心して信仰に生きることができます。
つづいてパウロは「キリストのために受けた恵みは」「キリストのために苦しむことでもある」と語りました。キリストを信じたことによって、人生に苦しみが起こるということは、罪の世にあっては分からないわけではありません。しかしパウロはそれが「恵みである」と語ります。
キリストのために苦しむことが恵みであるとは、にわかには受け入れられないことです。しかし神さまは私の人生のおいてその苦しみが必要であるとお思いになられたのだと思います。そうであれば、さまざまな喜びの出来事と同じように、その苦しみは私の人生にとって、宝物、なのだと思います。
もちろん苦しみを宝物と思うことは簡単なことではありません。しかし神さまが、恵みによって与えてくださったもの、ととらえなおすならば、そこに何らかの光が差し込むのではないでしょうか。
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教会の一致(2026年7月5日の週報より)
教会の一致
ゼパニヤ書3章8~10節
そのとき、わたしは
諸国の民の唇を変えて清くする。
彼らはみな主の御名を呼び求め、
一つになって主に仕える。(ゼパニヤ書3章9節)
主は、諸国の民の唇をきよくしてくださいます。そうして主の御名を呼び求める、一つになって主に仕えるようにしてくださいます。
主の御名を呼び求めましょう。希望の光が見えず、暗闇のなかに放り込まれたときにも、主を呼び求めましょう。主は必ず応えてくださいます。
一つになって主に仕えましょう。一つになることは互いの違いがなくなってしまうことではありません。互いの違いを大切にしつつ、ともに主に仕えることです。
一つになることと、聖書の語るきよくされること、とは深くつながっています。一つになろうとするならば、自らを中心とすることから自由にされて、互いに受け入れ合わねばなりません。主のみこころを求めていかなければなりません。そうして私たちはきよくされていくのです。一つにならないでばらばらでいるならば、いつまでもきよくされることがありません。
自己中心的に生きようとしてしまう誘惑と闘いましょう。さまざまな違いを認め合いながら、それを乗り越えて主にあって一つになりましょう。私たちは同じ主に仕える者、同じ主に生かされている者同士であることを喜びましょう。
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奉仕(2026年6月28日の週報より)
ピリピ人への手紙4章10~20節
また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
ピリピ人への手紙4章19節
キリスト・イエスの栄光とは、十字架の栄光です。神さまは私たち罪びとを救うために、ご自身のいのちを献げてくださいました。その愛の大きさこそ、神さまの豊かさです。天と地を創造され、いまもすべてを支えておられる神さまの豊かさは、キリストの十字架において明らかにされたのです。私たちは主の十字架を見上げるごとに、神さまの愛がどんなに深いものであるのかを教えられます。
ですから私たちは、神さまが必要のすべてを満たしてくださると信じています。いのちを捨ててくださるほどのお方が、出し惜しみをされるはずがありません。
神さまは、私の必要を満たしてくださるとともに、私たちの愛する隣人の必要も満たしてくださると信じています。イエスさまを信じる者は、私の必要も、愛する者の必要も満たしてくださると信じる者です。
神さまが、私たちが愛する者の欠乏を満たしてくださいますから、私たちはその愛する者を神さまの御手にゆだねることができます。ゆだねることができるので、平安のうちに私にできることをします。もしできないことがあっても神さまにゆだねているので平安を失うことがありません。
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2026年7月26日(日)
- 聖書:マルコの福音書6章14~29節
- 説教題:神のことばは殺せない
- 説教者:田中隆裕
- 新聖歌:
- 31番「豊けき主の愛」
- 209番「慈しみ深き」
- 108番「丘に立てる荒削りの」
- 316番「御言葉なる」
- 暗唱聖句:「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」(コリント人への手紙 第一 1章18節)
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2026年7月19日(日)
- 聖書:出エジプト記20章17節
- 説教題:上にあるものを求める
- 説教者:河村三郎
- 新聖歌:
- 8番「七日の旅路」
- 222番「罪の深みに」
- 256番「御翼のもとに」
- 257番「キリストは生きておられる」
- 暗唱聖句:コロサイ人への手紙3章1節
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2026年7月12日(日)
- 聖書:ルカの福音書19章1~10節
- 説教題:「今日、救いがこの家に来た」
- 説教者:奥村拓也(オンライン)
- 新聖歌:
- 35「告げよ主に」
- 431「主と」
- 233「驚くばかりの」
- 209「慈しみ深き
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2026年7月5日(日)
- 説教題:「あらゆる試みを受けられた主イエス」
- 聖書: ルカの福音書4章5~13節
- 説教:川﨑慎太郎
- 新聖歌:
- 330「幸い薄く見ゆる日に」
- 311「いかに恐るべき」
- 312「日ごと主イエスに」
- 402「暗き谷間をたどるときも」
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たがいに徳を高める(2026年6月21日の週報より)
「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」
第一コリント14章1節
私たち人間は、愛のない異言や預言を語り、愛のない信仰を持ち、愛のない施しをし、愛のない殉教の死を遂げることができてしまいます(第一コリント13章1~3節)。愛があるかないか、それが問題です。何をするかも大切ですが、何をするにも愛があるかどうか、が大切です。愛がなければ、どんなに立派に見えることであっても意味がありません。何の役にも立たないのです。しかし愛があるならば、どんなに小さなことであっても、意味があります。また必ず役に立ちます。
ひたすら愛を追い求めましょう。愛は追い求めるものです。捕らえ切ることができた、というものではありません。漕ぎ続けているならば倒れることのない自転車のように、愛を追い求めているならば、私たちは人生に倒れてしまうことがありません。逆に、捕らえ切ったとして追い求めることを止めてしまったならば、倒れてしまいます。人生に生きることができなくなってしまいます。
愛を追い求めることは、御霊の賜物を求めることです。さまざまにある御霊の賜物の中で、特に預言すること、今日でいうならば、み言葉の勧めをすることを、熱心に追い求めましょう。
み言葉の勧めをすること。み言葉によって誰かを勇気づけたり励ましを与えたりしたいと思います。聖書の言葉は、神さまのお言葉ですから、必ず人を慰める力を持っています。聖書そのものの持つ力に信頼して、み言葉を宣べ伝えましょう。