「そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」
(使徒2章46~47節)
聖霊降臨の日。ペテロは12人を代表するかのように立ち上がって説教を始めました。そのペテロのことばを受け入れた人びとは洗礼を受けました。その数が三千人ほどであった(41節)といいますから、驚くべき前進です。こうしてイエスさまを信じた人たちは一つになって教会生活を送りました。
聖書は、人が救われることを「仲間に加えられた」(41)、「一つにしてくださった」(47)と語ります。信仰を持った者たちが便宜上一人でいるよりも大勢でいる方がいい、ということで一つになり仲間を組んだのではありません。神さまが一つにしてくださったのです。信仰を持つ、ということは、仲間になり一つとされる、ということなのです。
信仰は、神さまとの一対一の約束です。だれも介入することのできない個人による自律的決断です。たとえば親が信仰を持っているから自動的に信仰をもっているというようなことではありません。お腹が空いたとき、誰かに代わりに食事をしてもらっても自分のお腹が満たされることはありません。自分が信じなければならないのです。
しかしだからといって信仰は個人主義的なものではありません。必ず仲間の中に加えられる、そうして一つになる、ということが伴います。
イエスさまを信じる信仰は、愛に生きる信仰です。愛は一人では成り立ちません。私たちは主と深く交わり愛を学ぶとともに、兄弟姉妹との交わりの中へ遣わされます。そこで愛が働き成長します。その交わりこそ教会です。キリスト教信仰において、教会はなくてはならないものなのです。