11月21日聖日礼拝

動画(38分51秒)

聖書 ローマ人への手紙4章5節〜8節
説教 「罪をおおわれた幸いな人」
説教者 髙橋博師


今月の聖句

ヨハネの黙示録3章20節

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。


今週の聖句

詩篇32篇1節〜2節

幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。 幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。


今週の詩篇の黙想

詩篇46篇1節〜11節

  1. 詩篇46篇は337拍子のように大変リズミカルな詩篇です。337拍子は3つたたくことを二回繰り返して、最後7つたたいて結論とします。1~3節「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」4~7節で「川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。」と信仰の宣言をして8~11節で「来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。」と結論づけた宣言をしています。

  2. 1~3節、4~7節は3拍子のリズムです。1拍目が強く2拍3拍が弱く続きます。1節「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」が強く告白され、それに続いて2節「それゆえ、われらは恐れない。」3節「たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても」と続いています。

  3. 4~7節は4~5節は3拍子の最初のタンとたたく音です。「川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。」この宣言を高らかに叩いて6節の「国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らぐ」とも動じない信仰を告白しています。

  4. 8節「来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。」から始まる最後の部分は337拍子の最後をまとめる7拍子に当たります。マルチンルターはこの詩篇から「神はわがやぐら。わがつよき盾。苦しむときの 近き助けぞ」という有名な賛美歌を作り、この賛美歌が宗教改革の進軍ラッパのように歌われました。11節「万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。」

11月14日聖日礼拝

動画(19分21秒)

聖書 使徒の働き7章54節〜8章1節
説教 「神の右に立っておられるイエスを見た。」
説教者 髙橋博師


今月の聖句

ヨハネの黙示録3章20節

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。


今週の聖句

ルカの福音書10章27節

すると彼は答えて言った。『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。


今週の詩篇の黙想

詩篇45篇1節〜17節

  1. 詩篇45篇は王様の結婚式を祝う詩人の結婚賛歌であります。「あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。」国を治める王は神が祝福していてくださるから、麗しさと優しさを兼ね備えていることを歌っています。神に立てられ祝福されている王は「あなたの威光は、真理と柔和と義のために、勝利のうちに乗り進め。」と賞賛される正義の王です。

  2. この花婿なる王はだれをさしているか。キリストは花婿で教会は花嫁、キリストは王であり祭司、預言者と言われています。ここで登場する花婿なる王はキリストを表し、花嫁は救われているクリスチャンすべてを含む教会をさしています。私たちの花婿で王なるキリストは「あなたは義を愛し、悪を憎んだ。それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。」力強い義なる神であられ、喜びの油を注がれる平和の王であられます。

  3. 私たち教会につながる者はキリストの花嫁、男の信者も女の信者もキリストの花嫁として保護され、愛され守られます。この花嫁に「あなたの民と、あなたの父の家を忘れよ。」と促しています。私たちの過去が罪深い人生であっても、生まれ育った家がいかなるもの、貧しい汚れた環境であっても、私たちは主にあって生まれ変わり、神の子とされています。一度死んで生まれ変わっています。肉の過去は葬られました。変えられた自分を喜び、キリストに愛され花嫁とされたことを感謝しましょう。

  4. 「彼女は綾織物を着て、王の前に導かれ」ます。花嫁は新しい衣を着せられて王のそばに行きます。救われた私たちもキリストをこの身に着ています。かつて身につけていた罪のドロドロの衣を脱ぎ捨てて、救い主キリストの衣をまとって主の愛のうちを歩みましょう。

11月7日聖日礼拝

動画(36分13秒、説教11分10秒〜)

聖書 ローマ人への手紙4章1節〜8節
説教 「罪の赦される幸い」
説教者 髙橋博師


今月の聖句

ヨハネの黙示録3章20節

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。


今週の聖句

ローマ人への手紙6章23節

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。


今週の詩篇の黙想

詩篇44篇1節〜26節

  1. 詩篇44篇は苦難の中からの叫びの詩篇です。苦難の中においてもまず1~8節で今までの主の恵みを回顧して告白しています。1節「神よ。私たちはこの耳で、先祖たちが語ってくれたことを聞きました。あなたが昔、彼らの時代になさったみわざを。」神様のことばとみわざを思い起こしています。回想から祈りに発展しています。4節「神よ。あなたこそ私の王です。ヤコブの勝利を命じてください。」

  2. 9節からは現実の苦しみが叫ばれています。9節「それなのに、あなたは私たちを拒み、卑しめました。あなたはもはや、私たちの軍勢とともに出陣なさいません。」外国の軍勢の攻撃の前に敗北し連行される苦しみが描かれています。12~13節「あなたはご自分の民を安値で売り、その代価で何の得もなさいませんでした。あなたは私たちを、隣人のそしりとし、回りの者のあざけりとし、笑いぐさとされます。」この苦しみはバビロン捕囚の時、最も激しくなります。

  3. この苦しみの中でも詩篇の記者は17節で「しかし私たちはあなたを忘れませんでした。また、あなたの契約を無にしませんでした。」と主により頼んでいます。22節「だが、あなたのために、私たちは一日中、殺されています。私たちは、ほふられる羊とみなされています。」私たちが屠られる羊のような苦難の中にあっても、神は一人子を屠られる子羊として十字架に送る愛で私たちを守ってくださいます。

  4. この主の愛に導かれて23節から主に願い求めています。「起きてください。主よ。なぜ眠っておられるのですか。目をさましてください。いつまでも拒まないでください。」26節では「立ち上がって私たちをお助けください。あなたの恵みのために私たちを贖い出してください。」と祈っています。パウロはここから、私たちに変わってほふられる子羊としてイエス様を送ってくださる神様はすべてのことを益としてくださり圧倒的な勝利者としてくださると宣言しています。

10月31日聖日礼拝

動画(1時間3分10秒)

シンガポールデイ
聖書 マタイの福音書6章19節〜21節
説教 「あなたの宝物はどこにありますか」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

ネヘミヤ記8章10節

主を喜ぶことは、あなた方の力だからだ。


今週の聖句

マタイの福音書6章21節

あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。


今週の詩篇の黙想

詩篇43篇1節〜5節

  1. 5節「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。」このことばは前の詩篇42篇で5節と11節で歌われた歌が43篇でも繰り返されています。このことから詩篇42篇と43篇は連続している詩篇と分かります。何かの問題でエルサレムから離れ都落ちをして流浪の旅をして、苦悩の中からの魂の叫びの詩篇です。

  2. 「なぜ」と言う疑問詞が2節、5節で繰り返されています。2節は神様への問い、5節は自分への問いです。都エルサレムを離れることは礼拝から離れ、教会から離れている状況です。病気、けが、入院などで礼拝を離れる時があります。転勤、出張、引っ越しなどで離れる時もあります。家族の問題、自分の失敗や挫折、罪や事件を犯したために礼拝から遠ざかる苦悩の時もあります。問題ばかり見ていた詩篇の記者は苦悩の中から神様に向かって「なぜ」「なぜ」と問うています。

  3. 問題に目を向けていた詩篇の記者はなぜと言いながらも目を神様に向け、神様に声をかけています。愛なる神は求める者の心を聖霊の光とみことばの真理を送り、思いを聖なる山、主の住まいへと導いてくださり、神の祭壇に導かれ、そこに献げられているいけにえを通して罪の赦しの喜びに導かれて、竪琴に合わせて賛美する信仰にまで導かれて回復しています。

  4. この地上の人生は戦いのあゆみです。天国は勝利の世界、安息の生活です。悪魔は隙あらば私たちをつまずかせようと虎視眈々と狙っています。ダビデも失敗しています。罪を犯してエルサレムにいながら、魂は神様から離れ、礼拝や祈りから遙か遠い離れた所をさまよっています。なぜと神様に目を向ける所から回復の道が始まっています。自分を責め続けないで、なぜと言うことばであっても主に語ることから回復の道が開かれて行きます。神を待ち望みましょう。