2025年4月20日聖日礼拝(イースター)

動画(49分38秒)

聖書 ルカの福音書24章13節〜32節
説教 「心は燃えていた」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

詩篇42篇1節

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。


今週の聖句

コリント人への手紙第一15章20節

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。


ルカの福音書からの黙想 ルカ8章前編

4章から8章まではイエス様が宣教を開始されガリラヤの町々村々を歩いて神の国を説き、福音を宣べ伝え、広く宣教をしておられる第一次ガリラヤ伝道と名づけられる時期です。イエス様の先駆けの働きをしたバプテスマのヨハネがヘロデによって捕らえられ首をはねられ殺されています。「また、悪霊や病気を治してもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の財産をもって彼らに仕えていた。」(2~3節)イエス様の働きを支えている女性たちが紹介されています。男性たちではなく女性がイエス様に仕えています。女性の中でも最初に登場するのは「七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア」です。七つの悪霊に憑かれて悲惨な人生を送っていたマグダラのマリヤがイエス様を信じ変えられイエス様に仕える人として最初に紹介されています。次に「ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ」が登場します。ヘロデはガリラヤの領主としてその地域を支配していました。ヘロデは弟ヘロデ・ピリポの奥様ヘロデヤを奪い取りました。バプテスマのヨハネは預言者として「それは律法に違反しています」と罪を指摘しました。ヘロデは悔い改めないでヨハネを牢に入れ、首をはねて殺し、首をお盆に載せてヘロデヤの娘に踊りの褒美として差し上げている悪人です。ヘロデの執事とはこのヘロデに仕えている役人です。イエス様の宣教の妨げをするヘロデの部下からイエス様に仕える人が召されています。イエス様の話は種まきの話しに繋がります。種には命があります。命ある種も落ちる所によっては芽を出さず鳥に食べられるものもあります。良い地に落ちれば100倍の実を結ぶ種まきのたとえを語っておられます。ヘロデの親族であっても、悪霊に捕らわれた人であっても、従順な心、開かれた心で神様のことばを聞くならば100倍の実を結びます。イエス様の家族も来ています。イエス様は、「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちのことです。」(21節)心を開いて神のことばを聞いて受け入れる時、血縁、民族、怨念、因襲を超えて、病人であっても救われ神の家族の愛の人間関係に入れられることを教えておられます。

世界福音伝道会:信徒・教職オンラインセミナー2025のお知らせ

世界福音伝道会 信徒・教職オンラインセミナー2025(YouTubeライブ)
ゲスト:藤本満(インマヌエル高津キリスト教会牧師、東京神学大学非常勤講師)


◆第一回目 聖書解釈のリテラシー
日時:4月26日(土)14:00~16:00 
https://www.youtube.com/watch?v=Y36nRm2owiE(別タブ)

◆第二回目 福音の光の中で聖書を読む
日時:5月17日(土)14:00~16:00 
https://www.youtube.com/watch?v=_ykX3J0Fwm8(別タブ)

※詳しくは以下のチラシをご覧下さい。

2025年4月13日聖日礼拝

動画(38分38秒)

聖書 使徒の働き18章1節〜17節
説教 「神の世界に生きる」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

詩篇42篇1節

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。


今週の聖句

マタイの福音書5章14節〜16節

あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ7章後編

7章の後半には二人の人がイエス様と出会っています。一人は自分を正しい人と自認しているパリサイ人シモン。もう一人は罪深い女、おそらく遊女をしなければ生きて生けない女と思われます。イエス様は「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」と言われました。この罪深い女はイエス様のことばを聞いてイエス様を信じ、それを告白するためにイエス様のおられるパリサイ人シモンの家に勇気を出して香油の入った石膏の壺を持って入って来ました。女はうしろからイエス様の足もとに近寄り、泣きながらイエス様の足を涙で濡らし、自分の髪の毛でイエス様のほこりだらけの足を拭い、イエス様の足に口づけをして香油を塗りました。群衆のひとりとしてイエス様のお話を聞いて、愛と赦しを受け人生が変えられました。その感謝と信仰を表わすために全財産と思われる石膏の香油をイエス様にささげたく、パリサイ人シモンの家に来ました。イエス様はこの罪深い女に「あなたの罪は赦されています」「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」と語られました。この女は自分の罪深さを知っていました。どん底にまで転落していました。社会から罪深い女というレッテルも貼られていました。イエス様はどん底で苦しんでいる人を愛し救いに導かれました。サマリヤの女は五回の結婚と五回の離婚をしたことで社会から排除されていました。イエス様はこの女に優しく語られ女は救われました。ヨハネ8章では姦淫の現場で捕らえられた女がイエス様のところに連れてこられています。先生、この女は姦淫の現場で捕らえられました。律法はこの女を石打にする様に命じていますが、イエスさま、どうなさいますか。この挑発の時イエス様は「罪のないものが、まず石を投げなさい。」と言われました。誰も石を投げることが出来ず、ひとり取り残された女に「わたしもあなたに裁きを下さない。行きなさい。これからは決して罪を犯してはなりません。」と赦しを宣言されました。こんな出会いから罪深い女もイエス様の愛と赦しを信じ、感謝を現すために精一杯の信仰の告白をしています。私たちに代って泥だらけになってくださったイエス様の足を涙と髪の毛で洗って感謝を現しています。メシヤなるイエス様が十字架についてくださる。イエス様は油注がれたメシヤの信仰を表わすため石膏を割ってイエス様に油を注いでいます。多く赦された感謝を精一杯現しています。

2025年4月6日聖日礼拝

動画(40分27秒)

聖書 ルカの福音書9章18節〜20節
説教 「生ける神の子キリスト」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

詩篇42篇1節

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。


今週の聖句

マタイの福音書16章18節

そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。


ルカの福音書からの黙想 ルカ7章中編

バプテスマのヨハネから洗礼を受けられたイエス様に聖霊がハトのように下り「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」と天からの声が響き、イエス様はメシヤとしての働きを開始されました。イエス様の宣教はガリラヤの貧しい人たち、病の方々に癒しの業をされていました。神のことばを伝え、愛と癒しのみわざをされました。ヨハネはイエス様について「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」(ヨハネ3章30節)と告白しています。ヨハネはラクダの毛の衣をまとい、腰には革の帯をしめ、イナゴと野蜜を食べ、大胆な宣教をされていました。領主ヘロデが罪を犯すと大胆にヨハネは領主ヘロデの罪を非難しました。領主ヘロデは悔い改めないでバプテスマのヨハネを投獄しました。イエス様のみわざは獄中のヨハネの所にも届いていました。イエス様が宣教をされている時、ヨハネは「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか。」と使者を遣わしてイエス様に尋ねています。イエス様はロバに乗ってエルサレムに入城され、神殿で売り買いしている人たちを追い出して、十字架に向かっておられます。その時が来るまでイエス様は御国を奇跡やことばで伝えています。獄中で身動きが取れないヨハネの焦りがあったのでしょうか。イエス様は「わたしはあなたがたに言います。女から生まれた者の中で、ヨハネよりも偉大な者はだれもいません。」(28節)ヨハネは史上最大の偉大な人物とイエス様はヨハネを評価しています。イエス様はそこで終わらず「しかし、神の国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。」と語っています。イエス様の救い、十字架で罪が贖われ、神の子とされ、天国に入れられた者は、一番小さな者でもヨハネより偉大にされると約束してくださっています。イエス様を信じた私たちはこの地上にいて救われています。神の子とされています。しかし救いは未完成です。天国への途上の信仰の歩みです。天国に入る時にすべての罪がきよめられ、救いが完成します。天国で一番小さい者もヨハネより大いなる存在とイエス様は語っていてくださいます。この大いなる救いをイエス様は時いたって十字架で完成してくださいました。ヨハネさえ焦る時があったようです。私たちも焦る時があるかも知れませんが、イエス様のみこころの時が確実に来る事を信じて、主に委ねて歩みましょう。