2024年4月7日聖日礼拝

動画(37分40秒)

聖書 ヨハネの福音書21章1節〜14節
説教 「夜が明けそめた時」
説教者 高橋博師


今月の聖句

使徒の働き26章18節

それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。


今週の聖句

ヨハネの福音書6章35節

イエスは言われた。わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。


創世記からの黙想 創世記14章

アブラハムとロトは一緒に牧畜をしていました。家畜が増える祝福が牧草の奪い合いの問題になりました。二人は別れることで問題の解決をしました。ロトはよく潤っているヨルダンの低地、邪悪な町ソドムに移動しました。アブラハムはヘブロンにあるマムレの樫の木の下に移動。天幕を張って主のために祭壇を築いて礼拝をしました。この地に大きな戦争が起こりました。シヌアル、エラサル、エラム、ゴイムの北部の4国連合とソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイム、ベラの南部の5都市国家連合との戦いです。バビロン近くのケドルラオメル王のエラムが最強の国でした。このケドルラオメルの攻撃によりソドム、ゴモラなどの5都市連合は敗北して、「四人の王たちは、ソドムとゴモラのすべての財産とすべての食糧を奪って行った。また彼らは、アブラムの甥のロトとその財産も奪って行った。ロトはソドムに住んでいた。」(11~12節)ロトは邪悪な町ソドムに移り住みこの戦争に巻き込まれました。アブラハムはロトが捕虜となり財産を奪われたと聞いて、わずか318人の家の子郎党を引き連れてケドルラオメルの大軍に挑みました。アブラハムはケドルラオメルを打ち破り、捕虜となったロトを解放し奪われた財産を取り戻しました。この勝利者アブラハムを二人の王が迎えています。サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持ってアブラハムを迎えています。アブラハムは戦利品の10分の1をメルキゼデクに献げています。メルキゼデクは詩篇110篇に登場し、へブル書にキリストの型と書かれています。アブラハムはわずか318人の家来を引き連れてロトの救出に命がけで向かっていった。キリストの型であるメルキゼデクはパンとぶどう酒をアブラハムに与えました。アブラハムはキリストの型であるメルキゼデクにすべての戦利品の10分の1をささげて主を礼拝しています。もう一人の王、ソドムの王は「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」と言いました。本来人も財産もすべて取り戻したアブラハムに属するものであるのに、捕虜となった人は返してくれと厚かましく申しています。アブラハムは「糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、アブラムを富ませたのは、この私だ、とあなたが言わないようにするためだ。」とソドムのものをすべて返しています。318人の部下で勝利をしたのは徹底的に主の恵みの信仰に徹しています。主を信じ、主に栄光を帰する人生を送りましょう。シャローム。

2024年3月31日イースター礼拝

動画(39分30秒)

聖書 ヨハネの福音書20章19節〜29節
説教 「甦られたキリスト」
説教者 高橋博師


今月の聖句

コリント人への手紙第一15章20節

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。


今週の聖句

ペテロの手紙第一1章8節

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。


創世記からの黙想 創世記13章

創世記13章からの黙想です。12章1節でアブラハムは甥のロトといっしょにハランを出発して神様の示す地、カナンにやってきます。アブラハムは祭壇を築いて主を礼拝し、ベテルに移動したときにも「彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。」(12章8節)アブラハムはどこに行っても祭壇を築いて主を礼拝しています。12章10節でその地に飢饉があってエジプトにのがれています。アブラハムはエジプトでは祭壇を築かず、主の名によって祈っていません。その結果アブラハムはエジプト人を恐れて妻を妹と偽って、大きな罪を犯しています。アブラハムは証しのない生活でエジプトを去っています。祭壇を築く、主の名によって祈ることにより、私たちを、恐れや偽りの罪から守られます。その反省からか、13章でエジプトからネゲブに戻り、ベテルに戻って、そこでまず祭壇を築いて主の名によって祈っています。神様はアブラハムを祝福して家畜、しもべの数が増えて、ロトのしもべとの間に争いが起こりました。そこでアブラハムはロトと分かれることにしました。ロトはよく潤った低地を選んで移住しました。彼はそこで祭壇を建てる事も主の名によって祈ることもしていません。その結果、ロトの家族の末路は悲劇です。ロトは自分の目に頼って肥沃な土地を選びましたが、自分の目であって主の目ではありませんでした。主の視点、主の目で物事が見えるためにも、祭壇を築くこと、毎日デボーション、静思の時、主の名によって祈る時を持つことが大切であります。アブラハムはある時は一人で、また妻のサラとともに主の名によって祈りました。アブラハムはヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住み、主のための祭壇を築き、主の名によって祈り、礼拝をささげています。朝、主と交わりをすれば、もう、今日は一日、主の平安と祝福が追ってきます。毎朝、祭壇を築く生活のルーティンを打ち立てて平安をもって一日を始めましょう。アーメン。

2024年3月24日聖日礼拝

動画(40分38秒)

聖書 コリント人への手紙第一15章3節〜6節
説教 「最も大切な事」
説教者 高橋博師


今月の聖句

コリント人への手紙第一15章20節

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。


今週の聖句

ローマ人への手紙6章4節

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。


創世記からの黙想 創世記12章

神様の裁きの大洪水の後、箱船から出て来たノアとその家族に神様は礼拝する使命を与えられました。ノアとその家族、セム、ハム、ヤフェテの家庭に子供たちが生まれ、洪水で荒廃した大地を耕しました。「ほむべきかな、セムの神、主。」セムは神の裁きの厳粛さを目の当たりに見ています。月日の流れは速く、セムの十代目の子孫、アブラムの登場する時代になりました。神様はアブラムに「あなたは祝福となりなさい」(2節)と命じておられます。洪水の後、箱船を出て祭壇を築いて全焼のささげ物を献げて信仰による再出発しましたが、やはりこの世界は罪との戦いでした。ノアはぶどう畑を造り、収穫したぶどう酒を飲んで天幕の中で泥酔し裸になる醜態をさらしています。カナンの父ハムはノアの醜態を治めようとしないで吹聴したために呪われる身となりました。バベルの人たちは神様から与えられた天然資源で建築技術を磨き、心は高ぶり、神様を無視して頂が天に届く塔を建てようと高慢になってしまいました。神様はこの高慢を裁かれ、ことばを混乱させ、人々は地の全面に散らされました。散らされた人々は神様の恵みからも散らされて「アブラハムとナホルの父テラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた」とその堕落ぶりがヨシュア記24章2節に記されています。ノアから10代経過したテラの時代にはセムの子孫も他の神々を拝むようになっていました。「主はアブラムに言われた。あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」(12:1)と罪、不信仰の中からアブラムを召し、新しい出発が始まります。偶像に仕える親族を離れて、神様を礼拝する祝福を受け継ぐ家族として神様はアブラムを召し出されました。アブラムはセムから10代目。セムからアブラムまで、それぞれの人物の生まれた年、死んだ年を図表にしますと、なんとセム390歳の時にアブラムは生まれています。セムは600歳まで生きましたのでアブラムよりも長く生きています。アブラム75歳でハランを出た時にはペレグとナホル以外のアブラムの親族は全員、悲しいかな他の神々に仕えていました。アブラムはこの親族と決別して新しい出発をしました。ノアの時代は洪水で親族と分離して再出発しました。アブラムは祝福をもたらすために、旅立つことで親族と分離して祝福の地に向かいました。祝福の器になりましょう。

2024年3月17日聖日礼拝

動画(22分53秒)

聖書 マタイの福音書26章57節〜68節、27章1〜2節
説教 「トップニュース」
説教者 リュウ・フイイン師


今月の聖句

コリント人への手紙第一15章20節

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。


今週の聖句

ペテロの手紙第一1章25節

しかし、主のことばは永遠に立つとあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。


創世記からの黙想 創世記11章

「さて、全地は一つことば、一つの話しことばであった。」(1節)大洪水の後、ノアの子、セム、ハム、ヤペテから子孫が増え広がって行きました。人類はレンガを焼く技術、瀝青、アスファルトを使う技術を習得しました。シヌアルの地、今のクゥエートの近辺で原油が地表に湧き出ていて、そのアスファルトを建築に応用して、高い塔、建築物を作る技術を開発しました。石の代わりにレンガを焼く技術を習得し、瀝青というアスファルトは、粘土よりも粘着性があるので、レンガをつないで高い建造物を作ることができ、ジグラッドと呼ばれるピラミッドのような建造物を建てるようになりました。科学技術は神様からの賜物であります。粘土を高温で焼いて強度のあるレンガを作り出し、アスファルトからプラスチック、石油製品を作り出すことは、神様からの恵みの賜物であります。「さあ、我々は町を建て、頂きが天に届く塔を建て、名を上げよう。」(4節)罪ある人間は神の恵みを自分の功績、手柄にして、神様を無視して、高慢、傲慢になっています。18世紀からの科学技術の進歩、発明発見で文明は大変発展しました。レンガや瀝青から発展して、18世紀の産業革命では、鉄と石炭を使うようになり、蒸気機関を活用して、船舶や鉄道、工場が発展しました。20世紀に入ると瀝青を精製して石油、ガソリンを使う自動車、航空機が発展しました。20世紀の後半から核を分裂させる原子力のエネルギーを人類は利用しました。通信手段も、コンピューターの開発と大型化によって情報処理や伝達が高速化しました。残念ながら、神様の賜物によって便利になりながら、神様に感謝し、礼拝することがおろそかになり、自己中心になり、さらにもっと上の物質的満足を求めるようになっています。7節で神様は、彼らのことばを通じないようにしよう、とことばを混乱させました。神様抜きの自己中心、物質中心になった時代は、心が、愛が、ことばが通わない世界になってしまいました。罪の結果であります。イエス様の十字架の後、聖霊が下って、弟子たちは他国のことばを話し通じ合いました。十字架こそ敵意を廃棄され、二つのものを一つとして下さり、ことばが、愛が、親切が通じる世界を回復してくださっています。神様の賜物を受けていることを感謝し心の通い合う交わりを大切にしましょう。