2025年8月17日聖日礼拝

動画(38分06秒)

聖書 エレミヤ書1章4節〜10節
説教 「エレミヤの召命」
説教者 ユルゲン・ガウブ師


今月の聖句

歴代誌第一28章20節

それから、ダビデはその子ソロモンに言った。強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにいてくださるのだから。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕に関わるすべての仕事を完成させてくださる。


今週の聖句

詩篇33篇6節

主のことばによって天は造られた。天の万象もすべて御口の息吹によって。


ルカの福音書からの黙想 ルカ12章その5 今の時代を見分けよ

ルカ12章1節で「イエスはまず弟子たちに話し始められ」ています。終わりの54節からは「群衆にもこう言われた。」と群衆への説教で締めくくっています。群衆への語りかけでは「あなたがたは、西に雲が出るのを見るとすぐに、にわか雨になると言います。そしてそのとおりになります。また南風が吹くと、暑くなるぞと言います。そしてそのとおりになります。」(54~55節)イエス様の時代にも天気予報は大切な生活の知恵でした。テレビなど情報網が整い、人工衛星、レーダ、各地の風力風向などデーターの整った今日、台風、豪雨、津波などの予報、警報が報道され、いのちを守ってくださいと携帯やスマホにも警報が響きます。荒れ地や砂漠地帯を旅するパレスチナの人々の間でも気象予報は大切な情報でありました。この身近な天気予報をたとえにあげて「あなたがたは地と空の様子を見分けることを知っていながら、どうして今の時代を見分けようとしないのですか。」(56節)と今の時代が如何なる時代であるかを見分けようとしないのですか、と問いかけておられます。パウロは「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」(コリント第二6章2節)と語っています。イエス様も「しかし、わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」(11章20節)と神の国の到来を宣言しています。この救いの到来した今の恵みの時を認識する様に群衆に教えています。今、私たちの罪の裁きを身代わりに受けて下さる救い主がここに来ておられます。今、無代価、無限の赦しの道が開かれています。メシヤなるイエス様を信じて神様の前に罪を赦され、神様との和解の道に進むことを教えています。この恵みの道、救いの道、赦しの道に入らないなら、神の厳しい厳粛な裁きの時には「最後の1レプタを支払うまで、底から出る事は決して出来ません。」罪の支払う報酬は死です。厳しい警報です。救い主が私たちの罪の代価を支払って下さり、罪の赦し、永遠のいのちを感謝しましょう。シャローム。

2025年8月10日聖日礼拝

今月の聖句

歴代誌第一28章20節

それから、ダビデはその子ソロモンに言った。強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにいてくださるのだから。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕に関わるすべての仕事を完成させてくださる。


今週の聖句

ルカの福音書19章10節

人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ12章その4 忠実で賢い管理人

ルカ12章の黙想を続けています。イエス様は「しかし、わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」(11章20節)神の国の到来を宣言しています。神の国は神様の力による御支配です。イエス様の到来と共に神の国が力を持って到来しています。この事実、現実を信じて生きることが教えられています。31節では「あなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます。」と神の国を求めることが勧められています。その生き方として32~34節において「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」と書かれています。小さい群れであっても恐れないように。人数が少ない教会であっても、社会的な弱者の集団であってもそのような事で心配したり恐れたりする事のない様に勧めています。「腰に帯を締め、明かりをともしていなさい。主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。」(35節)毎日が変化のない平凡な日々かも知れません。神様の顕著な働きが人間の目には見えていないかも知れません。でも神の国は到来して神様は働いていてくださいます。この確信で、心の中にいつもみことばの灯を輝かせて主に仕えることが勧められています。思いがけないとき、思いがけない方法で神様は働いてくださいます。期待して主に仕えて行きましょう。このように時を認識して「忠実で賢い管理人」(42節)として歩みましょう。小さな群れであっても、私たちが社会的な弱者であっても、神の賜物の管理人、神の国に仕えるしもべとして主は期待していてくださいます。神様から委ねられている賜物、第一の賜物は聖霊です。心に住んでいてくださる聖霊の声を聞き、聖霊を悲しませないように。与えられた時間と言う賜物も主の前に賢く使い、肉体の体を持って主に仕えて生きます。聖霊の宮として主に仕えましょう。シャローム。

2025年8月3日聖日礼拝

動画(37分17秒)

聖書 ルカの福音書11章33節〜36節
説教 「光に満ちた歩み」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

歴代誌第一28章20節

それから、ダビデはその子ソロモンに言った。強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにいてくださるのだから。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕に関わるすべての仕事を完成させてくださる。


今週の聖句

ヨハネの福音書8章12節

わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。


ルカの福音書からの黙想 ルカ12章その3 天にあるすり切れない財布

ルカ12章でイエス様は畑が豊作であった金持ちに自己中心の生き方をしないで、神に対して富む人生を送ることを勧めています。(21節)さらに人間的な価値観だけに縛られて生きるのではなく「聖霊が教えてくださる」人生、聖霊の声に耳を傾けることが教えられています。聖霊に耳を傾ける時、神を知らない異邦人のようなこの世だけの人生観、世界観に生きるのでなく、永遠の神の世界観の中で生きることが出来ます。聖霊に聞く人生としてイエス様は「それからイエスは弟子たちに言われた。ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようかと、いのちのことで心配したり、何を着ようかと、からだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものだからです。」(22~23節)衣食住の事で思い煩うことのないように勧めています。「何を食べたらよいか、何を飲んだらよいかと、心配するのをやめ、気をもむのをやめなさい。これらのものはすべて、この世の異邦人が切に求めているものです。これらのものがあなたがたに必要であることは、あなたがたの父が知っておられます。」(29~30)神様の御支配を信じる人生か、信じない人生との違いです。神様を信じていないと、目に見える貯金、収入だけに依存して不安になったりします。この世のものに依存するのではなく、この世を創られた神様を信じ信頼し委ねることが教えられています。「むしろ、あなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます。」(31節)神の国、神様の御支配を信じる人生はさらに積極的に「自分の財産を売って施しをしなさい。自分のために、天に、すり切れない財布を作り、尽きることのない宝を積みなさい。天では盗人が近寄ることも、虫が食い荒らすこともありません。あなたがたの宝のあるところ、そこにあなたがたの心もあるのです。」(33~34節)私たちに与えられた賜物を機会を生かして十分に用い、活用する人生を送りましょう。

2025年7月27日聖日礼拝

動画(39分00秒)

聖書 ヨナ書3章1節〜10節
説教 「主に従うヨナ」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ヘブル人への手紙11章1節〜2節

さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。


今週の聖句

ヨナ書2章8節〜9節

空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを献げ、私の誓いを果たします。救いは主のものです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ12章その2 聖霊を冒涜する罪

ルカ12章10節で「人の子を悪く言う者はだれでも赦されます。しかし、聖霊を冒瀆する者は赦されません。」と書かれています。並行個所のマルコ3章28~29節では「まことに、あなたがたに言います。人の子らは、どんな罪も赦していただけます。また、どれほど神を冒瀆することを言っても、赦していただけます。しかし聖霊を冒瀆する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。」人は多くの罪を犯して来ます。私たちも多くの罪を犯して来ました。主に罪を告白する事で赦しをいただくことが出来ます。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」と明確にヨハネの手紙1章9節に書かれています。どんな罪であっても赦されない罪はありません。十字架の隣にいた強盗もイエス様を主よ、と呼び、私を覚えてくださいと信仰告白をしたことで、罪赦されパラダイスに引き上げられました。ローマ3章23節に「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」イエス様を救い主と信じる時、すべての罪が赦され神の子とされます。自分は罪人である事、それを認めて悔い改め信じる告白する事は聖霊が促してくれます。イエス様は神の子、救い主である事も聖霊が心に働いて認めさせてくれます。聖霊のこの心への促しを信じて罪を告白して、イエス様を主と信じて心にお迎えして、罪の赦しをいただきました。聖霊が心に働いて、語りかけてくださって、自分は真っ黒な罪人、イエス様はこの泥だらけの私を救う救い主であると聖霊の促しによって信じて救われました。この心に働きかける聖霊様の働きを否定したり、拒否したり無視する時、私たち祈ることも悔い改めをする事も出来なくなります。自分で救いの道を閉ざしている事になります。聖霊様を悲しませることがあります。聖霊の声をうるさいとかき消す事もあります。聖霊の声を受け入れ、従ってイエス様を主と告白して、聖霊の声を聞きつつ救いの道を歩みましょう。シャローム。