主日礼拝説教:2026年7月5日(日)
聖書箇所:出エジプト記20章16節
説教題:真実を語る
暗唱聖句
ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。
エペソ人への手紙4章25節より
説教音声
説教要旨
言葉の重みを知る
「あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない」、十戒の第九戒です。
第九戒の「証言」は基本的には法廷での裁判を念頭に置いていると言われています。法廷において、裁判の席で、偽りの証言をすることが戒められているのです。
だからと言って、第九戒が私たちの日常生活を無視しているのではありません。法廷でなければ、偽りの証言が認められるのかと言えば、決してそんなことはないはずです。法廷においても、日常生活においても、偽りの証言をしてはならないのは、まったく同じなのです。そして、十戒において偽りの証言が戒められているのは、私たちのだれもが偽りの証言をする者であることを示しています。例えば、キリストの教会は、陰口や悪口、誹謗中傷なども、偽りの証言と理解してきました。どれも人の名誉や信用を傷つける言葉です。人と人との関係を破壊する言葉です。そして、そのような偽りの証言と無関係でいることのできる人は一人もいません。
さて、第九戒の「証言」は法廷での裁判を念頭に置いていると言いました。法廷での証言には重みがあります。証人の証言は、裁判官の判決に影響を与え、裁判に関わる人々の人生を大きく左右するものです。しかし、重いのは法廷での証言だけではないように思います。私たちが普段の生活の中で語る言葉にも、実際には重みがあります。何気ない一言にも、法廷での証言と同じ重みがあるのです。
根も葉もない噂話によって、大切な仲間からの信用を失ったり、住む場所を奪われたりするようなことも起こってきます。最近ではSNSで発信された一言で苦しめられている人がたくさんいます。私たちの言葉にはそのような重みがあるのです。そして、その小さな一言の重みに気づかせてくれるのが第九戒なのではないか、そのようにも思います。
私たちは法廷には立っていないかも知れません。私たちが立っているのは神さまの御前です。そして、その神さまは教えていてくださるのです。「あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない」。なぜなら、神さまは私たち一人ひとりを愛していてくださるからです。偽りの証言によって、傷つく人があってはならない、そう教えていてくださるのです。神さまにとって、偽りの証言によって、何気ない一言によって、名誉や信用が傷つけられ、生活やいのちが脅かされてもよい人は、一人もいないのです。
「あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない」、そう教えてくださった神さまの御前において、神さまに愛されているお互いであることを覚えたいと思います。
隣人を立て上げる言葉を語る
偽りの証言は隣人の利益を損なうものです。隣人を傷つけるものです。そして、その偽りの証言をしないというのは、根本的には隣人を愛することです。隣人を生かす、隣人を立て上げる、そのような言葉を互いに語り合っていくことです。
使徒パウロは「偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい」と命じました。
真実を語りなさいと言われれば、とにかく事実を事実として語ることのように思うかも知れません。しかし、単純に事実を事実として語ることとは違うように思います。
少し後のところで、パウロは「人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい」とも命じています。
聞く人に恵みを与えるというのは、相手をおだてて気分よくさせることではありません。とにかく慰めや励ましを語るということでもありません。私たちが恵みを覚えるのは主イエス・キリストにおいてです。イエスさまの十字架の死と復活による救いのみわざを見上げる中で、私たちは恵みを覚えるのです。イエスさまによって成し遂げられた救いの恵み、十字架の死と復活のみわざによって赦されている恵みです。そして、その恵みの中においてこそ、私たちは成長していくのです。真実を語るというのは、その恵みを与える言葉、人の成長に役立つ言葉、そのような言葉を語ることなのだと思います。
隣人に対して真実を語る、それは、ちょっと大胆な言い方をすれば、神さまが主イエス・キリストによって成し遂げられた救いのみわざを互いに語り合うことです。その救いのみわざによって、罪を赦されて生かされているお互いであることを、一緒に覚えていくのです。そして、その恵みの中にあるならば、私たちの言葉は変えられていくと思うのです。私たちは、人を傷つける言葉を語る者ではなくて、人を立て上げる言葉を語る者と変えられていくのです。
祈り
偽りに満ちた私たちの罪が赦されるために、イエスさまによって成し遂げられた十字架の死と復活のみわざを覚えて感謝します。神さまから赦されている恵みを覚えながら、神さまに愛されているお互いであることを覚えながら、互いを傷つける言葉ではなくて、互いを立て上げる言葉を語る者とならせてください。主イエス・キリストの御名よって祈ります。アーメン。

