詩篇98編は「新しい歌を主に歌え」という呼びかけから始まります。詩人がそう呼びかけるのは、神さまが「奇しいみわざを行われた」からです。「奇しい」とは、不思議なこと、驚くべきことを意味する言葉です。詩人が「奇しい」と言っているのは、具体的には救いのみわざです。
神さまの救いは、人間の理解を超えた、驚くばかりのみわざです。その神さまの救いを経験した人々が歌うのは、いつも「新しい歌」となります。神さまの救いのみわざに驚かされる時、賛美は新しくならざるを得ないのです。
詩篇98編には神さまの救いのみわざが具体的に描かれてはいません。しかし、確かに言えるのは、詩人とイスラエルの民にとって、神さまの救いは「奇しいみわざ」だったことです。神さまは忘れないで覚えていてくださった、期待できない状況の中で救いを経験した、そんな驚きのみわざです。
現在の私たちにとって、「奇しいみわざ」とは、主イエス・キリストによる救いのみわざです。イエスさまの十字架と死の復活こそが「奇しいみわざ」なのです。天地を造られた神さまが、罪人の私たちの救いのために、御子のいのちを犠牲にしてくださったのです。
何よりもイエスさまによる救いのみわざを見上げながら、いつも新しい歌う私たちでありたいと思います。
真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。(使徒の働き16章25節)