『潤った園のように』から
神は計画もなくわたしたちの人生という曲を作られたわけではありません。自分のメロディーを学び、休みの間も失望することのないように、それぞれのパートが与えられているのです。わたしたちのパートがおろそかにされたり、削られたりしたわけではありません。メロディー全体を台なしにしたり、音程を変えるためでもありません。目を上げて見るなら、神ご自身がわたしたちのために拍子をとっていてくださいます。(ジョン・ラスキン)
合唱では、歌っているパートもあれば、休んでいるパートもあります。歌っているパートは重んじられているけれども、歌っていないパートは軽んじられている、そういうことではないはずです。意味のないパート、意味のない時はありません。
人生にはさまざまな時があります。活躍する時もあれば、打ちひしがれている時や休んでいる時もあります。そのすべての時が、神さまの御前においては意味があります。意味のない時はありません。神さまはどんな時にも私たち一人ひとりのために指揮棒を振っていてくださいます。
私たちの人生は神さまの耳に絶え間なく届けられる賛美歌の合唱です。指揮者である神さまを見上げながら、与えられたパートに集中させていただきましょう。
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。(へブル人への手紙12章2節)