主日礼拝説教:2026年5月17日(日)
聖書箇所:出エジプト記20章13節
説教題:殺してはならない
暗唱聖句
わたしの目には あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
イザヤ書43章4節より
説教音声
説教要旨
「神のかたち」として造られた人
私たちが神さまとともに生きるための道しるべとなる言葉、十戒は大きく二つの教えにまとめることができます。前半は神さまを愛すること、後半は隣人を愛することです。神さまを愛することは、隣人を愛することにつながります。神さまの愛を受け取って、神さまを愛する私たちは、互いに愛し合って生きるように、神さまから招かれているのです。第六戒は人と人との関係を扱う教えの二つ目です。
「殺してはならない」、当たり前のように思うことかも知れません。しかし、神さまがわざわざそう命じなければならなかったのは、私たちにとって、殺さないで生きることが、当たり前にできていることではないからです。そして、神さまが私たちに「殺してはならない」と教えられるのは、だれよりも神さまご自身が私たちのことを大切に考えていてくださるからです。神さまは私たちを特別に大切な存在として造られたのです。聖書は、その特別な存在として造られた私たちのことを、「神のかたち」と呼びます。「神のかたち」とは、私たちが神さまとの交わりに生きる者として造られたことを意味します。
神さまは全世界をお造りになりました。人だけではありません。動物も植物もです。その神さまにとって、大切でないものはありません。しかし、その中で、神さまとの交わりに生きる「神のかたち」として造られたのは、人だけです。だからこそ、私たちのいのちには、人だけに与えられた尊厳があるのです。
神さまは私たちに「あなたは高価で尊い。/ わたしはあなたを愛している」と語りかけていてくださいます。そう語りかけていてくださる神さまにとって、大切でない人は一人もいません。神さまにとって、いのちが奪われてもよい人は一人もいないのです。
「殺してはならない」という十戒の言葉は、単なる道徳的な教えではありません。神さまの切実な叫びです。「殺してはならない」、その言葉の背後で、神さまは叫んでおられるように思うのです。
「殺してはならない」、この短い言葉から、私たち一人ひとりを愛していてくださる神さまの愛を受け取りたいと思います。
殺す者から愛する者へ
「殺してはならない」、この教えが問題としているのは、殺人と呼ばれる行いだけではありません。私たちの言葉や態度、さらには、心の中の思いまでが、問われています。神さまは、私たちの心の中にある殺人の芽を、見ておられるのです。なぜなら、心の中にある思い、ねたみや怒りや憎しみ、さまざまな思いが、人を傷つけ、人を殺すという具体的な行いにつながっていくからです。実際に、聖書が語る最初の殺人事件、カインが弟のアベルを殺した背景には、ねたみ、怒り、憎しみの思いがありました。カインは、ねたみ、怒り、憎しみ、そのような思いに心が支配されて、弟のアベルを殺すに至ったのです。そして、ねたみや怒りや憎しみの思いにとらわれるのは、カインも現在の私たちも同じです。
ねたまない、怒らない、憎まない、それはそのような思いをとにかく必死に抑え込むことではありません。そもそもが、ねたみや怒りや憎しみというのは、力づくで抑えられるものではないのです。自分の心を自由にコントロールできるのであれば、私たちはだれも悩み苦しみません。自分の心をコントロールできないからこそ、私たちは悩み苦しむのであり、自分自身やともに生きる人々を傷つけたりするのです。
神さまはそんな私たちのことを愛していてくださいます。私たちが救われて新しく生きるために、御子イエス・キリストを十字架にかけることまでしてくださいました。私たちに求められているのは、その神さまの愛に満たされることです。そして、その神さまに人生のハンドルを明け渡すことです。主イエスさまを、自分の人生の主人として、心の王座にお迎えするのです。
神さまは、ねたみや怒りや憎しみにとらわれた私たちを、諦めることなく導いてくださいます。そして、殺す者ではなく、愛する者としてくださいます。その神さまのみわざを信じて、神さまに自分を明け渡して生きる私たちでありたいと思います。
祈り
御子イエスさまのいのちを与えてくださるほどに、あなたから愛されている恵みを覚えて感謝します。神さまこそがいのちの主であることを覚えながら、だれよりも神さまこそが私たちのいのちを大切にしていてくださることを覚えながら、殺す者ではなく、愛する者とならせてください。主イエス・キリストの御名よって祈ります。アーメン。

