詩篇84編からは、神さまの住まいを慕う詩人の切実な思いがにじみ出ています。「私のたましいは 主の大庭を恋い慕って/ 絶え入るばかりです」、「まことに あなたの大庭にいる一日は/ 千日にまさります」。神殿の立派さがどうのこうのと言っているのではありません。詩人は神さまご自身を恋い慕っているのです。神殿に行って神さまを礼拝したい、神さまとお出会いしたい、そんな思いでいっぱいになっているのです。私は、神さまを恋い慕う詩人の言葉から、信仰生活の何たるかを見るように思いました。
信仰生活とは神さまを恋い慕うことです。宗教的な義務を果たすことではありません。神さまご自身を喜ぶことです。神さまを恋い慕うからこそ、神さまとの出会いを待ち望み、神さまを礼拝するのです。
詩人が神さまを恋い慕うのは、神さまから愛されている恵みを知っているからです。全地を造られた神さまが小さな罪人の自分を顧みていてくださる、どんな時にもともにいてくださる、その神さまの愛がどんなに素晴らしいかを知っているからこそ、詩人は神さまを恋い慕っているのです。
詩人が恋い慕った神さまは私たちのことも同じように愛していてくださいます。だからこそ、主イエス・キリストを与えてくださいました。神さまご自身が罪人の私たちを恋い慕っていてくださるのです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3章16節)