説教音声・要旨 2026年7月26日(日)

  • 日時:2026-07-26
  • 聖書箇所:第一コリント11章23~26節

  • 説教題:キリストを覚える


暗唱聖句

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

ヨハネの福音書6章35節

説教音声

説教要旨

主から受けたこと

この手紙を書いたパウロは、聖餐式制定の場である最後の晩餐の席にいたわけではありませんが、そのパウロが「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました」(23)と語り、聖餐式制定の言葉をこの手紙のなかに書き記しました。

12人の弟子たち、すなわち使徒たちは最後の晩餐において直接主から聖餐式に与りました。聖霊降臨によって教会が生まれると、聖餐に与った使徒たちは主のことばに従って聖餐を行いました。パウロもそこで聖餐に与るようになりました。そこで聖餐式制定のことばも伝えられたのだと思います。その使徒によって伝えられたこと、いわば教会において伝えられたことを、パウロは「主から受けたこと」と語りました。

「主から受けた」とは、使徒から始まる教会の証言において伝えられた、ということであると聖書は語ります。私たちも、同じように主から受けたことによって生かされています。そして主から受けたことを語ります。

パンと杯によってキリストを覚えてほしい

十字架にかかる前夜、弟子たちとの夕食の席で、主は聖餐式を定められました。主はパンを裂き、「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい」(24)と語られ弟子たちにお与えになりました。またぶどう酒を杯に満たし、「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい」(25)と語られ弟子たちにお与えになりました。

裂かれたパンは、十字架上で裂かれたキリストのからだです。私たちは聖餐式において、私の罪のために自らのからだを裂いてくださった主の愛を深く覚えます。また、杯に満たされたぶどう酒はキリストの血です。それまで罪の赦しの契約として動物の血が流されてきたのですが、私たちは私たちの罪のために神の子イエスさまが、そのいのちを捨ててくださったことを覚えます。それまでのユダヤの祭りをなぞらえつつも、全く新しい罪の赦しの契約として主が定められた聖餐式を守り行います。

パンやぶどう酒(汁)が実質的に肉や血に変化するわけではありません。かといって単なる象徴としてパンやぶどう酒が用いられるのではありません。主観的にそう思い込む、ということでも、理性を捨てて迷信的に信じる、ということでもありません。私たちは聖霊のお働きの中で、信仰によって、パンとぶどう酒を食することで、キリストのからだと血を食します。ですから聖餐に与るためには、それに先立って聖餐に与る者の信仰が問われます。またこれを行うにあたっては、聖書のことばの説き明かしが必要となります。罪の赦し、和解の福音が語られるところで、聖餐は聖餐となるのです。

キリストは「わたしを覚えて、これを行いなさい」(24,25)と言われました。「覚える」こと。他の訳では「記念する」こと。過去のキリストを思い出しながら記念するのではなく、降誕において受肉された神、まことの人間として地上の生涯を歩み、私たちの罪のために十字架にかかられ、三日目に復活されたお方であるキリストが、聖餐にご臨在くださっています。エマオの途上を急いだ弟子たちと食事をされた復活の主、テベリア湖畔で朝食をともにされた復活の主が、聖餐式ごとに私たちにもふるまってくださいます。その主を覚えます。

聖餐式は私たちが主を覚えるために大切なことなのですが、それは主の御意志でした。主はご自身のことを、覚えてほしい、と願われ、そのために、食べられるもの、としてご自身を差し出してくださいました。食べられ、かみ砕かれ、すりつぶされ、飲み下され、そうして自らの姿は消えてしまうもの、として私たちに「とって食べなさい」と差し出してくださいました。私たちが全身でキリストを覚え、健やかな信仰生活に歩むようにと主は願っておられます。

主が来られるまで主の死を告げ知らせる

「このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです」(26)。

主が来られるまで。すなわち再臨の日まで私たちは聖餐式を行います。聖餐式を行いながら、「主の死」を告げ知らせます。主の死、すなわち、主の十字架における死、そして復活を告げ知らせます。私たちのために神が贖いの御業を成し遂げてくださったと語り続け、宣教し続けます。

主は再びこの地に来られます。その日、神さまは贖いの御業を完成してくださいます。二千年の昔なされた主の十字架と復活の御業において、神の贖いはすでに完全に成し遂げられました。しかし今を生きる私たちの目には、神の愛と義が、いまだ完成されているとは言えません。矛盾があり不公平があります。病気があり死があります。しかし再臨の日、主の日にそれらは完全に帳尻合わせがなされるのです。私たちはその日を待ち望んでいます。聖餐式を行うごとに、主の再臨を待ち望みながら、希望に生きるのです。

祈り

あなたを信じる者としていただきまことに感謝します。あなたを深く覚えることができますように。あなたに生かされていることを全身で喜ぶ者としてくださったことを感謝します。

説教20260726-01
説教20260726-02


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