詩篇87編は「神の都」で歌い踊る人々の言葉で締めくくられます。「私の泉はみな あなたにあります」。
罪からの救いとは、神さまから離れた私たちが、神さまの御前に帰ることです。自分の泉は神さまにある、神さまこそが自分の泉である、自分を本当に生かすのは神さまご自身である、そのことに気づかされて、神さまの御前に帰るのです。
私たちが神さまの御前に帰ることができるのは、神さまが先に私たちを受け入れていてくださるからです。「この者もあの者も この都で生まれた」、神さまご自身の宣言です。
パウロと関わった千人隊長は「多額の金」でローマの市民権を買い取りました。市民権や国籍を得るのは決して簡単なことではありません。現在でも似たようなものだと思います。
「この者もあの者も この都で生まれた」と宣言された神さまは、何の条件も示しておられません。私たちに問われる条件は何もありません。あり得ない宣言です。そして、そのあり得ない宣言が可能になるのは、神さまご自身がすべての代価を支払ってくださっているからです。御子イエス・キリストのいのちです。私たちが神さまの民として認められるために、神さまは、私たちが払うべき代価を、御子イエス・キリストのいのちによって払ってくださったのです。
私たちの泉は神さまにあります。その神さまご自身が私たちを招いていてくださいます。
だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。(ヨハネの福音書7章37節)