- 日時:2026年5月31日(日)
- 聖書箇所:第一コリント10章30節~11章1節
- 説教題:キリストに倣う者であれ
暗唱聖句
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。
第一コリント10章31節
説教音声
説教要旨
救われた私たちの新しい生き方(30~33節)
イエスさまの成してくださった救いの御業によって、私たちはすべての罪が赦されました。すべての罪が赦された私たちは、すべてのことについて「感謝」することができるようになりました。
救いにあずかるまでは、自己中心に生きていたので、すべてのことに感謝することなどできませんでした。いろいろなことに不平不満を持ちました。人をねたみ、うらやみました。人生を呪いました。しかし罪から救われて、自己中心から解放され、神さまを主として生きるようになった私たちは、すべてのことのなかに神さまの祝福の御手があることを教えられました。たとえ自分にとって都合の悪いことであっても、そこにも神さまの祝福の御手があることを信じ、感謝する者としていただいたのです。
感謝する者となった私たちは、すべてのことを神さまのご栄光を現すためにするように招かれています。栄光とは存在感のことである、とある先生はいわれました。神さまの栄光を現すということは、神さまの存在感を明らかにする、ということです。何をするにも、神さまが天と地を造られたまことの神さまであり、十字架と復活の愛を注いでくださるお方であることを明らかにします。そこに愛の神さまが生きてお働きになっておられることが私を通して現されるのです。
救われた者にとって神さまのご栄光を現すことは喜びとなりました。救われるまでは、自分の栄光、自分の存在感、自分の偉大さを表現することが人生のテーマでした。他者から称賛をいただくと喜び、否定されたように思うと落ち込むような人生でした。つねに人との比較の中に自分の価値を確かめなければならないような人生でした。しかし神さまは、罪びとでしかない私をこよなく愛していてくださいます。その神さまのすばらしさ、神さまの愛の大きさを現すことは、私自身の人生のテーマとなったのです。
すべてを神さまのご栄光を現すためにする私たちは、誰にもつまずきを与えない者となります。ユダヤ人、ギリシャ人、すなわちすべての人に対してつまずきを与えない者となります。それだけではありません。神の教会にもつまずきを与えない者となります。教会の兄弟姉妹の間においてもつまずきを与えない者となるのです。
ですから私たちは、私と同じように人が救われることを喜びます。そのためには、自分の利益ではなく、多くの人びとの利益を求めます。すべてのことにおいてすべての人を喜ばせようと努めます。人を喜ばせるとは、ちやほやすることではなく、その人が信仰に生きるように導くことです。
なんと素晴らしい生き方でしょうか。またなんと自由な生き方でしょうか。感謝、神の栄光、だれにもつまずきを与えない、すべての人の利益を求め、すべての人を喜ばせる生き方に、私たちは招かれているのです。
救われている私を見てほしい(11・1)
「私がキリストに倣う者であるように、あなたがたも私に倣う者でありなさい」(11・1)。
何と大胆なことばでしょう。私はキリストに倣う者である、その私に倣う者でありなさい、とパウロは語ります。私たちはこのようなことばを誰かに語ることができるでしょうか。語ることができるほどに、キリストに倣う者となっているでしょうか。
もしかすると高慢ともとれるこのパウロのことばですが、真意は少し違います。
「私がキリストに倣う者である」とは、パウロが自分自身イエスさまのように立派に生きていると自負しているのではありません。他の個所では、パウロは自分のことを「罪人のかしら」(第一テモテ1・15)と語っています。かつて罪人のかしらであった、と語るのではなく、いまも現役の罪人のかしらであると告白しているのです。他の使徒たちも同様に自らが罪人のかしらであることを忘れたことはありません。もしかすると、私なんかに倣うことなく、ひたすら主を見てください、主に倣ってください、というべきかもしれません。
ここで「私がキリストに倣う者である」ということばをもって言い表そうとしているのは、そのような罪びとでしかない私がいまこうして生きているのは、キリストのおかげである、私はキリストなくして一瞬たりとも生きることができない、そのような私に倣う者になってほしい、私と同じようにキリストを土台として生きてほしい。もしそのように生きるならば、すべてを感謝し、すべてにおいて神さまの栄光を現す者となることができる。誰に対してもつまずきを与えることなく、目の前の人の救いのために自分の利益ではなくその人の利益を求め、すべての人を喜ばせる者となれるのだ、と語るのです。
私たちも、愛する兄弟姉妹に、また家族に、友人たちに向かって、「私に倣う者となってください」ということができます。こんなとんでもない者なのに私たちの神さまは救ってくださいました、今も、愛し続けていてくださいます、と喜びをもってイエスさまを紹介することができるのです。ハレルヤ。
祈り
自分を見てはがっかりし、人を見てはうらやみ、感謝どころか、不平不満の人生に歩む者でした。しかしあなたがこんな私を救ってくださいました。すべてを感謝する者に造り変えてくださいました。あなたなくして生きることの出来ない私であることを、何よりも感謝します。あなたの素晴らしさを証しする者として、この世界に遣わしてください。

