「ユダヤ人虐殺を重ねた将校が死の床に1人のユダヤ人青年を呼び、赦しを求めた。青年は赦すと言えず黙ってその場を立ち去った。その事がその後心の重荷となり、多くの人々に自分の行為は正しかったのか?ーと尋ねた。」(「ひまわり」シモン・ヴィーゼンタールより引用)あなたの態度は正しかったとこの青年に言う事ができても、正しかったと知るだけでは彼の心は癒されないだろう。この将校にしても青年にしても、赦す愛とその力を知る事なしに魂に平安を得る事は出来ない。裁判で勝利し、自分が正しいと公に認められても、必ずしも魂に平安が得られると言うものではない。神はむしろ、律法によって私達の罪を明らかにし、それをお責めになる。「罪を犯した魂は死ぬ」と言われる。しかし、神はその一人子を世に送り、十字架の死によって罪の贖いを成し遂げ、罪の赦しと救いの道を開いて愛を示し、信じる者は永遠のいのちを得ると約束しておられる。信じて神の愛と赦しを知る時、魂に平安を得る。魂は愛と赦しを求めている。
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