私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 私の訴えについて、主が私に何を語られるか、 私がそれにどう応じるべきかを見よう

    静まりの時 ハバクク2・1~4〔刈入れの時〕
    日付:2024年10月22日(火)

     カルデア人による侵略によってイスラエルの民は捕囚の中にあります。カルデア人は神さまが偶像礼拝にふけるイスラエルを裁くために、神さまが起こされた民でした(1・6)。しかしその苦しみの中にあって預言者ハバククは訴えました。

     いつまでですか、主よ。
     私が叫び求めているのに、
     あなたが聞いてくださらないのは。
     「暴虐だ」とあなたに叫んでいるのに、
     救ってくださらないのは。(1・2)

     神さまはこの訴え(祈り)にすぐに答えることをなさいません。祈る人間に対して主は、忍耐をお求めになります。ハバククは苦しみを主に訴えつつも、忍耐の訓練を受け入れます。

    1 私は、自分の物見のやぐらに立ち、
     砦にしかと立って見張り、
     私の訴えについて、主が私に何を語られるか、
     私がそれにどう応じるべきかを見よう。

     「物見のやぐら」。ハバククは孤高に一人立ちます。しっかりと立ちます。そして見張ります。私の訴え、祈りに、主がどのようにお答えになるのか。またそれに対して自分自身がどのように応じるべきであるのか。
     祈りは、忍耐への覚悟が必要であるとともに、ひとたび答えがやって来たならば、その答えに対して自分自身はどのように応じるのか。その覚悟が必要となります。
     祈る者には、忍耐と覚悟が必要なのです。

    2 主は私に答えられた。
     「幻を板の上に書き記して、確認せよ。
     これを読む者が急使として走るために。
    3 この幻は、定めの時について証言し、
     終わりについて告げ、偽ってはいない。
     もし遅くなっても、それを待て。
     必ず来る。遅れることはない。

     主から答えがやってきました。「幻を板の上に書き記す」「確認する」「これを読む者が急使として走る」「この幻は、定めの時についての証言」「終わりについて告げ」「偽ってはいない」。神さまのみ言葉は、書き記され、人びとに宣べ伝えられる偽りのない証言である。定めの時、終わりについて告げるものである。必ず成就される真理のみ言葉である。
     ハバククの祈りへの主の答えは、まさに神さまのみ言葉そのものでした。

    4 見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。
     しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」

     彼(カルデア人)はうぬぼれている。まっ直ぐでない。もともとイスラエルを裁くために神さまによって立てられた異邦の人びとでした。神さまを知らない人たちでした。神さまを知らない、ということは、そこにうぬぼれを生み出します。高慢を生み出すのです。高慢の中にある者は、その生きる道がやがて閉ざされる、生きることができなくなってしまう。しかし、正しい人、主にある人は、その信仰によって生きる。

    「神に従う人は信仰によって生きる」(新共同訳)。
    「正しき人はその信仰によって生きる」(共同訳2018)。

     この聖句は新約聖書に引用されています。

    福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。(ローマ1・17)

    律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」からです。(ガラテヤ3・11)

    「もうしばらくすれば、来たるべき方が来られる。
     遅れることはない。
     わたしの義人は信仰によって生きる。
     もし恐れ退くなら、
     わたしの心は彼を喜ばない。」(ヘブル10・37,38)

     義人、正しい人とは一体どのような人であるのか。

    「ハバククとしては、神のみ父としての慈しみに信頼申しあげるよりほかに、神のみまえに携えるべきものを持たず、示すべきものを知らないのです。義人、それは、宮に上ったあの罪ある取税人のことなのではないでしょうか。かの取税人は、自分の帳簿の全部のページが悪に汚れているために、初めはみ父にたいしてあえて目をあげることができませんでしたが、後にキリストは彼について、「あなたがたに言っておく。神に義とされたのは、この取税人である」(ルカ18・14参照)とおっしゃったのです。」(リュティ、『預言者ハバクク・マラキ』、宍戸達訳、新教出版社、1982年、52頁)

     うぬぼれる者ではなく、神さまのみ前にへりくだる者こそ、まことの義人なのです。その義人こそ、生きるのです。