私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 背後から護られている人

    懺悔し心を注ぎ出すことが本当の助けを意味し得るのは、自分自身背後から護られておりロープに結ばれているような人の前でそれがなされる場合だけである。すなわち、ただひとり私たちの心の苦悩を他に転じるべく召された方に―私たちの永遠の大祭司に、祭司としてすべての問題を投げかける聖化された人。そのような人の前で、それがなされる場合だけである。

    リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、210頁
    第1サムエル1章15節
    2012年06月19日(火)

    心の重荷を誰かに話すと心が軽くなります。人間は一人で悩むのではなく、共に悩んでくれる友がいると、案外なんとかやっていけるものです。そういう友達が誰もいないということは、本当に不幸だと思います。

    話しを聞いてくれる友がいるでしょうか。聞くけれども、それが数倍の大きさ、複雑さをもって駆け巡って行くということも起こります。かえって心を痛めることになる、そんなこともしばしまです。

    逆に人の話しを聞くということは、なかなか大変んなことです。自分自身が流されないように、しっかりとイエスさまにつながっていなければなりません。重荷をしっかりと受け止められるように、主イエス様としっかりとつながっていなければなりません。