私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 証し

    証しを持っている人は誰でしょうか。それは私たち自身の霊だけでなく、神ご自身が証ししてくださる人です。

    ローマの信徒への手紙8章16節、ガラテヤの信徒への手紙4章6節参照
    2013年6月18日(火)

    『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
    (編)A.ルシー、(訳)坂本誠
    183頁

    「証し」という言葉そのものがキリスト教用語であることから、私たちがこの文章を理解をすることを少し難しくしているように思います。

    神さまは目に見えませんから神さまはご自身を知らせるために人間を用いて証明、証しされます。人間が神さまを信じること、神さまから慰めや励ましをいただいた経験、祈りが聞かれたことなどなど、を通して神さまが確かにおられて生きて働いていてくださることを証しされます。

    そこでは人間の経験が語られるのですが、それ自体も神さまご自身が証ししてくださることなのだということでしょうか。

    証しは時に人間的で、下手をすると単なる苦労話であったり自慢話であったりする危険をはらんでいますが、真実の証は、神さまご自身がして下されるのです。そのような証に生きる人こそ、本当の証しを持っている人でしょう。

    証しが苦労話や自慢話で終わらないためには、感謝と喜びが不可欠です。どのような体験も神さまへの感謝に締めくくられること、それが真実の証しです。

    神さまを信じて生きる者は、このような証をいただいています。それはまさに特権です。