私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 服従する者たちにどのような場所が用意されているのか

    2014年1月24日(金)
    「わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対して偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの報いは大きい。」(マタイ5:11~12前半)

    祝福を受けた者たちの共同体は、十字架にかけられた方の共同体である。その方と共に彼らはすべてを失い、またその方と共にすべてを見いだした。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、41頁f。

    この世にあってイエスさまと共に歩もうとすると時にののしられたり迫害されたりすることがあると聖書は語ります。それは苦しいことです。しかしその苦しい時こそ、幸いである、と聖書は語ります。

    イエスさまは、ののしりと迫害の中に十字架につかれました。その十字架は全世界の救いとなりました。私たちはこの主イエスさまの弟子です。私たちがののしりと迫害の中に歩むなら、それによって祝福の実が結ばれていくのです。それはつらいことですが、最終的に天国が与えられているのですから、その天国を見上げながら、今の苦しみの時を忍耐したいと思います。
    必ずさいわいの時がやって来るのです。そのことを信じて忍耐する者は、今すでにそのさいわいの中に入れられているのです。