私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 触れることのできない中心

    〔誘惑〕

    2014年3月6日(木)

    「また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土から生えさせ、さらに園の中央に命の木と善悪とを知る木とを生えさせられた。

    「生命の木」について。文脈から明らかになるように、人間はここではその木から食べることを公然と禁止されているわけではない。
    ・・・
    神から来る生命が中央にある。つまり、生命を与える神が中央にいる。アダムが意のままにできる世界、アダムの支配に委ねられている世界の中央には、アダム自身がいるのではなく、神の生命の木が立っている。アダムの生命は、中央から来る。この中央は彼自身ではなく、神である。彼の生命は、この存在するものの中心を自分のものにしようと企てることなく、この中央をまわり続けている。中央からのこの生命は神自身のものなのであって、人間の側から全く見当違いのことをしようとしない限り、何の問題も生じない。
    ・・・
    かれはまさに生命を所有しているのである。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、117頁f。

    エデンの園では文字通り、いのちの源が中央にありました。人はその周りに生きたのです。その周りに生きている限り尽きることのないいのちに生かされていたのです。
    ひとたび、いのちの木を中心におかず、自分自身を中心におこうとしたとき、このいのちは失われてしまいました。
    いま、いのちの源であるイエスさまが心の王座にお座りくださっていることによって、私たちはふさわしくいのちに生きることができます。
    自分自身が座ろうとする誘惑に勝たせていただき、尽きることのないいのちに生きましょう。

    (祈り)
    神さま、私の心の王座にお座りください。