私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 神のように

    〔誘惑〕

    2014年3月12日(水)

    「女がその木を見ると、それは食べるのに良く、目に美しく、賢くなるには好ましいと思われたので、その実を取って食べた。そして女は共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。」(創世記3:6)

    今や人間は中央に立ち、限界をもたない。
    ・・・
    「中央にいる」ことと「一人でいる」ことこそが、「神のようである」ということである。
    ・・・
    彼は自分が被造物であるということを振り払ってしまったのです。
    ・・・
    人間はなおも被造物として振舞おうとするかもしれないが、それは初めから創造者となろうと欲しているということ以外の何ものでもない。そして、いずれにせよ、人間はなおも生きていると思いこんでいるが、本当はもう死んでしまっているのだ。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、126頁ff。

    一人でいるのは良くないと神さまが言われたのにもかかわらず、結果的に人間は一人になる道を選んでしまいました。上昇志向と孤独はセットでやってきます。一人は単にさみしいというのではなく、死んでいることなのです。
    共に生きるということは、神さまにならない、創造者にならないということです。被造物の位置に立ち続けるということです。そこに平安があります。

    (祈り)
    神さま、私があなたによって造られた者であることを感謝します。どうか造られた者として生き続けることができるように助けてください。