私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 言葉をめぐる戦い

    〔誘惑〕

    2014年3月15日(土)

    (マタイ4:5~7)

    イエスはこのサタンの誘惑を、「神を試みること」と呼ぶ。イエスは、ここで、「あなたにはこれで十分である」という父の言葉にのみにとどまろうとしている。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、131頁f。

    神の子ならば神殿の頂から飛び降りても神が助けてくれるであろうとサタンは語ります。イエスさまはこのサタンの誘惑を「神を試みること」と呼ばれ、退けられました。神さまの言葉をもって退けられました。
    サタンもみ言葉を用いて誘惑しましたが、イエスさまはイエスさまでみ言葉に留まられました。同じみ言葉のようですが、イエスさまは「あなたにはこれで十分である」という父のみ言葉に留まろうとされたのだ、とボンヘッファーは語ります。

    聖書の言葉にはいろいろな言葉がありますが、その根底に流れているものは神さまの愛です。神さまの愛は、迷い出た者を探し求める愛です。神さまは罪と滅びの中にある私に向かって、あなたは高価で尊い、と語りかける愛です。私たちは神さまに愛されているのです。この神さまに愛で、私たちは十分なのです。
    これに対して「神を試みること」とは、神さまの愛を信じないことです。神さまの愛だけでは十分ではない、その証拠を見せてほしいということです。

    いまこの時神さまの愛が私にもおよんでいます。それで十分なのです。何があっても大丈夫です。

    (祈り)
    神さま、あなたの愛に留まり続けられるように助けてください。