私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 人に見せびらかす行為を自分の部屋の中ですること

    〔主よ、私たちに祈ることを教えてください〕

    2014年5月9日(金)

    祈りは全く隠れた所で為されるべきものである。本当に祈る者は、自分を忘れ、ただ自分が呼び求める神のみを知ろうとする。祈りは、ただ神のみに向かうものであるから、人に見せようとして為される行為とは根本的に異なる。
    ・・・
    私は、大通りではなく、自分の部屋の中においても、人に見せびらかす行為をすることができるのである。私がひとりで「人に見せびらかす祈り」をすることになるのは、私が「祈る者」であると同時に、その祈りを「聞く者」でもあろうとするからである。
    ・・・
    自分の祈りでどうにかして自分自身を貫こうとする私の意志が、死ななければならない、殺されなければならない。-その時初めて私は、「求める前から私に必要なものをご存じである方」のみこころが行われるようにと、祈ることができるようになるのである。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、232頁ff。

    自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所におられる神さまに祈りなさい、とイエスさまは教えてくださいました。ただ一人になって神さまに祈ることを教えてくださいました。

    ただ一人になって神さまの前に祈るということは、神さまと一対一になっているのということですから、その祈りの場には、神さまと私の二つの人格があることになります。
    そこに密室の祈りが生まれるということだと思いますが、ボンヘッファーは、その密室と思われる所でも、大通りのようなところになってしまう危険があると語ります。すなわち、「自分自身」に見せびらかす祈りとなるならば、そこはもう密室ではなく大通りなのです。そのような祈りならば聞かれるはずがないというのです。

    密室から「自分自身」をも締め出して、ただひたすら神さまの前に心を注ぎ出すのが本当の密室の祈りということです。密室の祈りは「自分の祈りでどうにかして自分自身を貫こうとする私の意志が、死ななければならない、殺されなければならない」とボンヘッファーは語ります。

    (祈り)
    神さま、真実の密室の祈りを教えてください。