私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました

    静まりの時

    • テーマ:交わり
    • 聖書箇所:ヨハネ15・11~17
    • 日付:2026年07月14日(火)

    16 あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。

    信仰を持った、ということは、私が神さまを選んだ、ということではなく、神さまが私を選んでくださったことである、とイエスさまは言われました。

    もし、私が選んだ、という私の握力のようなもので神さまを捕らえているとするならば、それには限界があります。何かことが起こればその手を放してしまう可能性があります。そもそも神さまは、私が神さまを私の握力で捉えることができるような小さなお方ではありません。

    しかし神さまが選んでくださった、神さまがつかんでいてくださる、というのですから、神さまとの関係は切れることがありません。たとえ私の信仰が希薄になるときがあったとしても、神さまは私を捕らえた手をお放しになることがありません。私たちは大安心の中に信仰生活を送ることができます。

    その安心感は、私たちの人生を、実を結ぶ人生へと変えます。互いに愛し合う者と変えられるのです。安心感のないところでの愛は、自分がつかんでいなければならないということが付きまといますので、どこか脅迫があり強制がうまれます。しかし大安心の中にあるので、健やかに愛する者とされるのです。

    神さまに選ばれた、ということは、実を結ぶ、という目的のため、ですが、その目的を実現するためには、神さまに選ばれた、という信仰的な事実が私の内で確かにされている、ということが大切です。礼拝において、日々の信仰生活において、神さまに選んでいただいた、という喜びを確かにすることが、実を結ぶ人生を生み出すのです。