私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 人間の道はその人によるのではなく

    静まりの時

    • テーマ:とりなしの祈り
    • 聖書箇所:エレミヤ10・17~25
    • 日付:2025年10月24日(金)

    21 牧者たちは愚かで、主を求めなかった。
     それゆえ、彼らは栄えず、
     彼らが飼うものはみな散らされる。

    牧者、すなわち群れを飼う者、養う者が愚かであると、その群れ、すなわち「彼らが飼うもの」、飼われるものは散らされてしまう。群れを散らしてしまう牧者の愚かさとは、「主を求めなかった」ことである。主を求めずいったい何を求めたのか。自らの野心か、それとも群れそのものか。
    「彼らは栄えず」。牧者たちが栄えない、とはいったいどういう意味か。新共同訳では「彼らはよく見守ることをせず」、共同訳2018では「彼らは悟らず」。群れをよく見守るためには、牧者が悟る者でなければならず、悟る牧者とは、栄えている牧者である。この栄えるということは、決してこの世的に裕福なものということではなく、主を求める者としての豊かさなのだと思います。
    主を求める豊かさがないと、いたずらに野心に走り、群れのご機嫌取りを行うようになってしまいます。

    23 主よ、私は知っています。
     人間の道はその人によるのではなく、
     歩むことも、その歩みを確かにすることも、
     人によるのではないことを。

    豊かな牧者はこのことを知っています。「人間の道はその人によるものではない」こと、「歩むことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではない」ことを。
    主を求めないのは、このことが分かっていないからだと思います。どこか、人による、という、人間主義があって、結局牧者は悟りから離れ、群れは散らされてしまうのです。

    人間の道は、主によって確かにされることを学ぶ。そうして主を求めていく。そういう者でありたいと思います。