静まりの時
- テーマ:交わり
- 聖書箇所:第一ヨハネ4・7~12
- 日付:2026年07月17日(金)
7 愛する者たち。
私たちは互いに愛し合いましょう。
愛は神から出ているのです。
愛がある者はみな神から生まれ、
神を知っています。
8 愛のない者は神を知りません。
神は愛だからです。
9 神はそのひとり子を世に遣わし、
その方によって
私たちにいのちを得させてくださいました。
それによって
神の愛が私たちに示されたのです。
10 私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛し、
私たちの罪のために、
宥めのささげ物としての御子を遣わされました。
ここに愛があるのです。
キリスト教会は、神さまの愛を宣べ伝えます。神さまの愛は、キリストの十字架においてあきらかにされましたから、キリスト教会は、キリストの十字架を宣べ伝えます。神さまの愛を宣べ伝えることは、キリストの十字架を宣べ伝えることです。
神を知る、ということは、神の愛を知る、ということです。いわゆる「神」をさまざまに分析し、その神を知ったとしても、神の愛を知らないならば、神を知ったことになりません。すなわちキリスト十字架を知らないならば、神を知ったことになりません。
愛には圧倒的な力があります。いのちがあります。愛をひとたび知ったならば、その愛はじっとしていません。その人間にいのちをそそぎ、愛に生きるように造り変えていきます。ですから愛のない者は、結局神を知らないのです。
神、愛、いのち。これらは切っても切れない関係にあります。
11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
12 いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
神を見た、という人がいます。不思議な霊的体験において神を見たというならば、それはヨハネがここに書いたこととはずいぶん違うことです。いわゆる神を見たというの者はいない、とヨハネは断言しています。しかし、もし私たちが互いに愛し合うならば、その私たちのうちに神はとどまってくださり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。もし神を見た、というならば、私たちが互いに愛し合うその愛を見たということ。それでしか神を見たということはこの世界の中には存在しません。
宣教は、神を宣べ伝えることであり、神の愛を宣べ伝えることであり、キリストの十字架を宣べ伝えることです。それは、私たちが互いに愛し合うということで実現します。どんなに素晴らしい教えが語られていても、そこに愛がないならば、宣教は実現しません。
神がどれだけ私たちを愛してくださったのか。私たちは、十字架の苦しみ、その御生涯における悲しみを背負うお姿を学び続けます。そうして愛に生きる力を生み出していただきます。