私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 愛が私たちにあって全うされました

    静まりの時

    • テーマ:静まり
    • 聖書箇所:第一ヨハネ4・13~21
    • 日付:2026年07月18日(土)

    17 こうして、愛が私たちにあって全うされました。ですから、私たちはさばきの日に確信を持つことができます。この世において、私たちもキリストと同じようであるからです。

    共同訳2018では、

    17 このように、愛が私たちの内に全うされているので、裁きの日に私たちは確信を持つことができます。イエスが天でそうであるように、この世で私たちも、愛の内にあるのです。

    私たちがさばきの日に確信を持つことができる、すなわちさばきの日に滅びではなく救いの完成を確信することができるのは、愛が私たちにあって全うされたからである、とヨハネは語ります。

    愛が私たちにあって全うされた、とは、私たちの生きざまが神の愛の完全な現れ、となった、ということだと思いますが、それは、私たちが他者に対して愛の行いをした、とも読めますし、私たちが神さまから完全に愛されている、とも読めると思います。

    この世において、私たちもキリストと同じようである、という言葉は直訳的でわかりにくいのですが、共同訳は、天出そうであるように、という言葉を加えて解釈しようとしています。イエスさまは、昇天され父なる神さまの右に座しておられます。そこでは完全に父なる神さまの愛の中におられます。それに対して私たちは、この世にいます。しかしその私たちも、愛の内にある。完全に父なる神さまの愛の中にいる、と語るのだと思います。

    愛の中にある、それが、愛する者となる。愛する原動力は、愛されることにある。