私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 身を慎み、目を覚ましていなさい

    静まりの時

    • テーマ:目をさまして
    • 聖書箇所:第一ペテロ5・8~11
    • 日付:2026年02月20日(金)

    8 身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。
    9 堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。
    10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
    11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。

    「身を慎み」。原文ギリシャ語の「ネーフォー」という単語は、辞書によると「酔っていない、しらふである、酒を飲まない」という意味とのこと。次の「目を覚ましていなさい」は、第一テサロニケ5章10節に同じ単語が登場しますが、そこでは「生きている」という意味で使われています。身を慎んでいない状態は死んでいる状態なのかもしれません。

    身を慎んでいる、ということが、酒に酔わないこと。酒だけではなく私たちを酔わせるものはこの世に数多くあります。いずれでも酔わない生き方。それが信仰の生き方である、とペテロは語りました。

    どうして酔わなければならないのか。自分を酔わせなければならないのか。それが問題なのかもしれません。