「此の苦なければ此の楽みなし。此の楽みなければ此の生命なし。故に此の世に在りて此の苦を取るは福なり。與に共に清楽に至るの要道なればなり。與に共に清楽に入りて父母に永遠に奉仕するを得る所以の道なればなり。」
新井奥邃、『聖言』、158
「この苦しみがなければこの楽しみはない。この楽しみがなければこの生命はない。ゆえにこの世にあってこの苦しみを選び取ることは祝福の道である。共に同じ清楽に至るための大切な教えである。共に同じ清楽に入って、父母に永遠に奉仕するための道である。」
人生には苦しみがあります。苦しみはできれば避けたいところですが、しかしその苦しみがあるからこそ楽しみの時がやってくるのです。またそうして得た楽しみがあるからこそ、生き生きと生きることができるのです。ですから苦しみの道を選び取ることは、しばらくは苦しいことではありますが、しかし、大きな目で見れば祝福への道なのです。これは真実の人生を歩むための大切なことです。
「父母に永遠に奉仕する」ということばは、肉親の父母と理解してもよいのかもしれませんが「永遠」といっていますので、ここでは神さまのことを指していると理解するのがいいのだと思います。神さまは聖書を読むと男性のように描かれていますが(キリストにおいてはまさにそうですが)、父性と共に母性的な神さまの姿も大切なことです。たとえば教会のことを「母なる教会」といったり、聖書に登場する「マリヤ」を母性の象徴として考えたりすることがあるのだと思います。
いずれにせよこの世にあってはかん難がありますが、そこには永遠の命への道があることを覚えたいと思います。
〔聖書の個所〕
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
(ヨハネ16章33節)