カテゴリー: 新井奥邃

  • 「信ぜざる者は信ぜざるべし。往く者は往くべし。吾人は之と争はず。彼等を冷遇するに非ず。苟も主に従う者、其態度如此くならざれば以て道に立つ能はざればなり。争はず競はず、超然たる善争其中に在り。善争は世の競争以外にして又其れ以上なり。大終の全勝を期する所の神戦なり。」

    「信ぜざる者は信ぜざるべし。往く者は往くべし。吾人は之と争はず。彼等を冷遇するに非ず。苟も主に従う者、其態度如此くならざれば以て道に立つ能はざればなり。争はず競はず、超然たる善争其中に在り。善争は世の競争以外にして又其れ以上なり。大終の全勝を期する所の神戦なり。」

    新井奥邃、『聖言』、156

    「信じない者はきっと信じないであろう。過行く者はきっと過行くであろう。我々はこのようなことにおいて争わない。彼らを冷遇することをしない。かりにも主イエス・キリストに従う者は、その態度においてこのようでないならば、信仰の道に立つことはできない。争わず競わず、超然としている良き戦いはそのような中に在る。良き戦いは世の競争ではなく、またそれ以上のものである。最終的な終りの時には、完全な勝利を得ることになる神の戦いである。」

     この世にはさまざまな宗教や自己啓発団体があります。信仰や生き方は、その人の自由選択の中にあってはじめて意味を持つことです。強制的な中で選択された信仰や生き方は、本物ではありません。しかしこの世の宗教や自己啓発団体は、自分たちの進める道のみが素晴らしいと信じていますので、そこから去ってしまう人に対して、呪いの言葉や否定的な態度をとるものです。
     教会にもいろいろな人が来られます。そのすべての人が信仰をもって生きられるようになるかといえばそうではありません。むしろそうでない人のほうが多いでしょう。教会も信じない人、教会から去ってしまう人に対してさまざまな否定的な感情を持つことがあるのかもしれません。しかしそうであってはなりません。むしろ祝福を願いましょう。神さまはすべての人を愛しておられるのです。
     神さまを信じない人、去ってしまう人にいだく否定的な感情が、神さまを受け入れられないその人の不幸を悲しむ心から出ているのではなく、自分の思い通りにならなかったいらだちから来ているとすれば、それは罪です。
     真実に神さまに従おうとしている人は、常に争わない、競わない道を選択します。

    〔聖書の個所〕

    あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
    (ローマ12章18節)