「忍耐の忍耐を大貫して而る後神人の悦楽至る」
新井奥邃、『聖言』、1
「神にある人は、大いに忍耐の限りを尽くし通したのち、
まことの喜びにいたります。」
人生の喜びは、忍耐と深い関係にあります。忍耐を必要としない喜びは真の喜びではありません。苦しみに出会う時、忍耐しましょう。その先には忍耐したものでなければ知りえない喜びがあります。
〔聖書の個所〕
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
(新約聖書・ローマ人への手紙5章3~5節)
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
(新約聖書・へブル人への手紙12章1~2節)
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
(新約聖書・ヤコブの手紙1章4節)