カテゴリー: 新井奥邃

  • 「基督は霊なり。基督は体なり。基督は血なり。基督は神なり。即ち父なり。我儕の基督なり。」

    「基督は霊なり。基督は体なり。基督は血なり。基督は神なり。即ち父なり。我儕の基督なり。」

    新井奥邃、『聖言』、159

    「キリストは霊である。キリストはからだである。キリストは血である。キリストは神である。すなわち父である。私たちと共なるキリストである。」

     神さまは目には見えません。その目に見えない神さまが、見えるかたちとなって私たちのところに来られたのがイエス・キリストです。ですからキリストは霊であるとともにからだです。それは血をお持ちになっていると同時に、神さまそのものです。そして神さまを父と呼ぶことができるようにしてくださいました。キリストは罪人である私たちの仲間となって下さいました。
     神さまが私たちと共にいるということが、想像上のことではなく、また単に精神的なことに止まるのではなく、からだ全体での出来事として実現しているのです。それがキリストにおける「受肉」の奇跡です。

     キリスト教信仰は、この受肉の奇跡をその中心にして成り立っています。また受肉を大切にするところに真のキリスト教信仰が生まれます。

    〔聖書の個所〕

    ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
    (ヨハネ1章14節)

    人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。
    (第1ヨハネ4章2節)