「人若し基督の新たに附與せらるる生命を受くるなくんば、百悔改(ひゃっかいかい)すると雖も亦終に其実を結ぶ能はさざるなり。」
新井奥邃、『聖言』、190
「人はもしキリストからの新しく与えられるいのちを受けることがないならば、何度悔い改めたとしても、最終的に実を結ぶことはできない。」
人間にはみな肉体の生命が与えられています。しかしそれとは別に神さまが与えてくださる「いのち」があります。そのいのちをいただかない限り、何度悔い改めても、その根本から変わることにならないのです。結局、良い実を結ぶことはできないでしょう。
悔い改めといいつつも単なる反省であれば向っている方向は同じです。しかし真の悔い改めは「方向変換」です。今までは自己中心に生きてきたのですが、これからは神さまの方向を向いて生きていくのです。これこそ神さまから与えられる新しいいのちに生きる道です。この道にこそ豊かな人生の実が結ばれます。
〔聖書の個所〕
私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
(ローマ7章4~6節)