「夫れ人各々天命を有す。或は至静を以て中間の一位に座するも亦可なり。一点と雖も不可なし。一縷の息も間断あるなければ宇宙に彌(わた)る。何ぞ必ずしも其身東西南北に奔走して然る後始めて其道を尽すべしと謂はんや。」
新井奥邃、『聖言』、191
「人はおのおのに天から授けられたいのち持っている。ある人は、しずかに中ほどの一つの位置に立つこともよいことである。ひとつのことであったとしても悪いことは何もない。細い糸のようなかすかな呼吸であっても継続しているならば宇宙に広がり及ぶ。なぜ『必ずその身体を東西南北に奔走してのちはじめてその道を極めるべきである』などというのであろうか。」
神さまはそれぞれにいのちを与えてくださいました。そしてそれぞれに賜物を与えてくださいました。自分の賜物を発見し、その賜物に生きることこそ素晴らしい人生の秘訣です。それは人と比較するものではありません。たとえ人から見て劣っているように見えたとしても、自分の賜物、自分のいのちに生きることができればそれが最高のことなのです。
忙しく動き回って得られるものではなく、しずかに自分自身を振り返ることが大切でしょう。また非日常的な活動によって得られるものではなく、日々の絶え間のない生き方の中にこそ発見できることでしょう。
〔聖書の個所〕
ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。
(第1コリント7章17節)