「夫れ霊動は至静に存し、而して至静は霊動せざるなし。至静を離れて動く者は、永遠を極めて善く動くを得べからず。」
新井奥邃、『聖言』、192
「霊的な行動は静かさを極める中に存在し、静かさを極めるならばおのずと霊的な行動をしないではいられない。静かさを極めることから離れて行動しようとする者は、永遠を追求しつつ正しく行動することを得ることができない。」
「至静」。ただの「静」ではなく「至」をつけた「静」です。それが「霊動」を生み出す。「動」は「静」の中に包括されているのです。あるいは「静」と「動」が一つになって初めてそれぞれが真実なものとなるということでしょうか。
ゆらゆらと動いている枝ではなく、静かにしている枝にこそ小鳥が留まるように、聖霊は静かな心に留まられます。わずかな時間でも静まる時を大切にしている人は、豊かな行動に生きることができます。
〔聖書の個所〕
私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。
(詩篇77編12節)
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
(マタイ6章6節)