カテゴリー: 新井奥邃

  • 「神の言は活然として霊動す。故に基督の言は亦活然として大権を有す。大権は粗なるが如くにして洩(もら)さず。故に生気ある者は其文意を解せじと雖も、其情に感ず。然らば則ち所謂権なる者は何ぞや。愛なり。謙なり。無上の愛にして無下の謙。謙は母の如し。然るかな誠に然るなり。是れ宇宙の父母たり。」

    「神の言は活然として霊動す。故に基督の言は亦活然として大権を有す。大権は粗なるが如くにして洩(もら)さず。故に生気ある者は其文意を解せじと雖も、其情に感ず。然らば則ち所謂権なる者は何ぞや。愛なり。謙なり。無上の愛にして無下の謙。謙は母の如し。然るかな誠に然るなり。是れ宇宙の父母たり。」

    新井奥邃、『聖言』、189

    「神の言葉は生き生きとして霊的に活動的である。ゆえにキリストの言葉は、また生き生きとして大きな力を持っている。大きな力は、粗雑なようでいて落ち度がない。ゆえに生き生きと生きようとしている者は、その文意を理解することができなくても、その心に感じることができる。そうであればすなわち、いわゆる力を持っている者とはどのような者であろうか。愛である。謙遜である。これ以上ない愛であると同時に、これより低いものは存在しないほどの謙遜である。謙遜は母のようである。そうだまことにそうなのだ。これは宇宙の父母である。」

     聖書は神さまの言葉です。神さまの言葉は生きて働きます。私たちを導きます。またきよめます。この言葉は頭で理解するだけではなく心で理解する必要があります。自分の人生を一所懸命生きようとしている者は、必ずそれを心で理解することができます。神さまは愛です。十字架にまでへりくだって下さったお方です。その神さまは私のかたくなな心を開いてくださり、みことばを語ってくださいます。神さまは母のような愛をもって人間を導いてくださいます。

    〔聖書の個所〕

    神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
    (へブル4章12節)