最後の審判においては、神が我々の前に立つのではなく、我々が神の前に立つ。もし我々が本当に神の性質を理解したとしたら、イエスとともに我々の祈りにおける最大の関心事は、願いを聞き届けてもらうことではなくなる。むしろ「御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行、なわれるように地でも行なわれますように」となるであろう。
エリクソン、『キリスト教神学 第2巻』、「第3部 神はどのようなお方か、第14章 神の慈しみ深い善性」、54ページ
私たちはすぐに神さまよりも上に立とうとします。つまり神さまよりも神さまのようになろうとするのです。しかし神さまが神さまであるとする限り、私たちはいつも神さまの下に立ち続けなければなりません。
ただ神さまを崇め賛美して生きることが人間の本分です。
コメントを残す