だが、人間はこの世界で他の被造物の上に立つ別格の存在であり、神の愛でる子である、という楽天的な世界観は採用されていない。
映画の最初に「ヨブ記」からの言葉が掲げられている(わかりやすく加筆して引用する)わたしが大地を据えたとき、おまえはどこにいたのか?
夜明けの星はこぞって喜び歌い、神の子らはみな喜びの声をあげた、その(天地創造の)ときに?信仰篤いヨブを神は災厄を送って試す。それでもヨブは揺るがない。最後になって出てきた疑念を神は打ち砕き、ヨブは最終的に神に帰順する。
大事なのは世界は人間のために作られたのではないということだ。人間が登場しなくても世界は完結していた。それでも我々は「神は与え、神は奪う。その御名はほめたたえられよ」と言わなくてはならない。
家族がずっと考えているのはこのことだ。今、東日本大震災の後でぼくが考えているのもこのことだ。キリスト教の信仰とは別に、なぜ震災でたくさんの人が亡くなったのか、なぜ大地は揺れるのか、その先のどこに生きる意味があるのか。
この映画にも何か手がかりがあるような気がするのだが。(作家)池澤夏樹、終わりと始まり、「ツリー・オブ・ライフ」を見る
朝日新聞、2011年9月7日(水)夕刊
ショーン・ペン、ブラッド・ピット・・・。映画「ツリー・オブ・ライフ」は浜大津の映画館で上映中です。数年前に「マザー・テレサ」を見に行ったのですが、とんと映画館というところに行かなくなりました。この記事を読んで久しぶりに行ってみたいと思いました。多分行かないでしょうけれど。
映画は見ていないのでもちろんなんとも言えないのですが、この池澤夏樹先生の言葉には深く心を捕らえられました。
ヨブ記は最初の2章で信仰の偉人としてのヨブが語られています。しかしそれから42章まで延々と独白、友人たちとの対話、そして独白と続きます。最後に神さまが登場され大上段から創造主としての圧倒的な存在感を示され、驚くべきことにそれでヨブが納得するのです。この延々と続く独白と対話にヨブ記の深い意味があります。
人間は問いかけて生きていきます。しかし様々な事柄によって実は神さまから「問いかけられて」いるのです。どう答えるのか。そこに人生が築かれていきます。
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