あなたはともしびの用意はできていますか。・・・礼拝は、花婿である主イエスの来臨に備えるためのわざである。賢いおとめたちも全く眠らないわけではない。「皆眠気がさして眠り込んでしまった」。それでよいのである。備えがあれば。目を覚まして生きることは、このような用意を備えて安眠しつつ、目覚めに備えることでもあるのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、362頁
2020年12月7日(月)
信仰生活において、目を覚まして生きることは、常に覚醒しているということではなく、常に油を備えている、ということである、といいます。その油を備えることが礼拝である、と。
「賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。」(マタイ25・4-7)