ひとと語り合うときに。急いで自分が語るのではなく、まず聴く。なぜか。現代のカウンセリングが教える初歩的知識と同じではない。人間が急いで語りたがるのは、自分が正しいと思っているからである。すぐに怒りに移るほどの正義の意識がある。自分が正しいと思うからである。しかし、その怒りは神の義を実現するのか、と聖書は問う。ヤコブは言う。あなたがたのこころには、既に植え付けられたみ言葉があるではないか。それを聴くのを妨げる誤った正義感という悪を捨て、み言葉を受け入れるがよい。そのみ言葉があなたを救う。対話の技巧ではない。カウンセラーがよく聴いてくれるので、心理的解放が起こるからではない。ふたりして神の言葉を聴き、受け入れるのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、347頁
2020年11月24日(火)
隣人との対話の中で見失ってはならないは、そこにイエスさまがいてくださるということです。対話の行き先は、ともにイエスさまの語られるお言葉に耳を傾け、み言葉に生きるようになることです。ともに祈るようになることです。そうでないと自分が神になってしまいます。自分が神になって語り始めてしまいます。
「わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです。だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」(ヤコブ1・19-21)