祈ることもできないという人間の自己主張よりも、その人間にこころを注ぐ神を見よう

神が今こそあなたを求め、探しておられるというのに、祈ることもできない、というのはどういうことか。祈りの言葉を失っていると言っても、幼いときから唱えてきた主の祈りを忘れているはずはない。一緒に唱えようではないか。・・・祈ることもできないという人間の自己主張よりも、その人間にこころを注ぐ神を見ようということである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、338頁

2020年11月15日(日)

祈れない、祈りの言葉が出てこない、という絶望の時こそ、まさに祈る時である、ということでしょう。そのときに私たちの祈りを支えるものが二つある、それは主の祈りであり、ともに祈る仲間である、ということでしょう。

「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、・・・』」(マタイ6・8、9)