黙示録は、礼拝において与えられ

黙示録は、礼拝において与えられ、聞かれ、天上の礼拝をのぞき見ることを許された伝道者、説教者の言葉である。だから私は繰り返し言う。地上で既に礼拝に生きることを知らない者に、黙示録を読み、解釈し、説く権利はない。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、285頁

2020年9月26日(土)

黙示録には不思議な、ちょっとオカルト的に感じてもおかしくない表現がたくさん出てきます。それでこの世界の予言として読まれることも多いと思いますが、そこに主イエスさまへの礼拝がなければ、読み誤ってしまうということでしょう。主イエスさまへの礼拝の心のないところでの黙示録の解釈はすべて誤りである、ということです。私たちは黙示録を読みつつ、主イエスさまを礼拝するのです。また主イエスさまを礼拝しつつ黙示録の言葉に耳を傾けるのです。

「この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。」(黙示録1・3)