十字架につけられた方のもとに立とうとしたのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、286頁
2020年9月27日(日)
殉教と自死の違いを、前者は限りなく自分ではないものを愛し、後者は限りなく自分を愛している、と説明したものをどこかで読んだような気がします。キリスト者の殉教は、そのいずれでもないような気がします。ただ十字架につけられた方のもとに立とうとしただけなのだと思います。
「それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。」(使徒5・41,42)