私たちは主の弟子になる

主が与えてくださる休み、それは重荷を取り去ってくださることではない。荷を軽くしてくださることである。くびきは負い続ける。だが、それは今は主イエスが与えてくださったくびきである。私に学べ、と言われる。学びはまねび、私たちは主の真似をして生きるように主を学ぶ。学ぶ者、それが弟子である。私たちは主の弟子になる。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、271頁

2020年9月12日(土)

真の宗教は、重荷を取り去ることではなく、重荷を負うこと、正しく負うことを教えるのだ、と思います。人生に与えられた自分の重荷をしっかりと担っていくことができるようにしてくれるのが、本当の信仰なのだと思います。正しく負うこと、しっかりと担うこと。そのためには、イエスさまに学び、イエスさまの弟子になること、イエスさまが一緒に担っていてくださることを知ること。さらにはイエスさまご自身が与えてくださる重荷である、と信じ信頼すること。そこに人生の平安が生れます。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11・28-30)