愛すべき者を憎んでいるとき

私たちには、あんなひとがいなければ、自分はどれだけしあわせか、と思い、できることなら殺したいと憎んでいるひとがひとりもいないのか。・・・ヨハネの手紙は言う。愛すべき者を憎んでいるとき、既にそのひとを殺している。キリストの血によって贖われ、死からいのちへと移されている私たちにとって、ひとの死を願うことが何を意味するのか。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、203頁

2020年7月8日(水)

兄弟を愛すること、身近な人を愛すること、愛すべき人を愛すること。そして、死からいのちに移っていること、死に留まらないこと、永遠のいのちに生きていること。この二つのことは一つである、ということでしょう。人殺しをしたら天国に行けない、ということを言っているのではなく、永遠のいのちに留まるということは、赦しにと愛に生きることである、ということを言っているのだと思います。

「カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属して、兄弟を殺しました。なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです。
だから兄弟たち、世があなたがたを憎んでも、驚くことはありません。わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません。」(1ヨハネ3・12-15)