律法のくびきから解放されて思うように生きることができる喜びを

キリスト者の生活は肉の欲望、つまり、自分がしたいと思っていることを抑圧して、霊が与える聖なる律法に律せられて生きることではない。・・・パウロこそ、律法のくびきから解放されて思うように生きることができる喜びを知っていたのである。深く苦難のなかに立ちながら。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、169頁

2020年6月6日(土)

律法主義というのは、こうしなければならないという思いの中で、自分を強制していくことで、幸せがやってくると信じる信仰でしょう。それに対して聖書は、霊に導かれて生きることを語ります。霊に導かれて生きることは、自分の願いや望みと神さまの願いや望みが一つになる生き方です。ですから喜びがあります。苦しみに出会っても変わらない喜びがあるのです。

「わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。」(ガラテヤ5・16-8)