スルスム・コルダ、「こころを高くあげよう」と訳されるラテン語である。・・・聖餐を祝うときによく歌われる。・・・これは、哀歌第3章の言葉に基づく。・・・私たちが歌うスルスム・コルダに付されているメロディーは明るい。それも許されよう。しかし、時に哀歌のこうした言葉に涙を促され、「恐れるな」と言ってくださいと切願する原点に戻るのも、主の食卓にふさわしいのではないか。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、129頁
2020年4月30日(木)
私たちが礼拝で親しんでいる賛美としては、新聖歌50番の「心を高くあげよう」のことです。聖餐式では毎回「しみも咎も」を歌っています。同じ歌を歌い続けるということにも大切な意味があると思いますが、ときに別の賛美歌を歌ってもいいのかもしれません。
心を挙げる、高く挙げるという言葉は、少し抽象的でわかりずらいところがあります。この新聖歌50番の歌詞からすると、神さまの御手の中にささげていくという感じがしますが、いかがでしょうか。逆に心を低くするということは、自分の手の中に握りしめ続けてしまうということになるでしょうか。
心は自分のものですから、自分の手の中に握りしめて、誰にも渡さないということは、無理もないことなのだと思います。しかしだからこそ生きづらいということもあるのです。心も神さまの御手の中にお委ねしてこそ、私たちはまことの平安をいただくことができるのではないでしょうか。
「わたしたちは自らの道を探し求めて/主に立ち帰ろう。/天にいます神に向かって/両手を上げ心も挙げて言おう。」(哀歌3・40-41)
「わたしの目は休むことなく涙を流し続ける。」(哀歌3・49)
「呼び求めるわたしに近づき/恐れるなと言ってください。」(哀歌3・57)